翌日──哉はいつものように学校に行こうと出ていくと、家の前に和馬が立っていた。
「あっカズ。おはよう」
「おっす。どうだ調子は」
「うんばっちり。カズ、どうしたのいきなり。僕ん家に来てさ」
「ん？そりゃぁ哉の事が心配でだな・・」
　和馬は顔を赤らめて言う。
「あーっ顔赤いよカズ。僕のこと心配してくれたんだぁ？サンキュー。でもさぁこうして
ると恋人同士みたいだよね」
「こらぁ！何て事いうんだよ哉っ」
「わーい」
　哉は和馬の事を思いっきりからかい、駅の方へと走って行く。それを追うように和馬も
走った。どうやら二人の仲は元に戻ったようだ。
　それ以来、二人は受験のために勉強を始めた。普段は学校の図書館、休日はどちらかの
家で勉強をする。お陰で哉の成績は大学へ行けるまでに戻った。
　中央音楽大学推薦試験入試当日。二人は受験番号別に分けられた部屋へと入っていく。
受験番号一二七番の哉と、一〇七番の和馬は同じ部屋だったようだ。
　これから二人は約一時間ほどある小論文の試験、そして実技試験を受ける。
　小論文は難なくこなした二人だったが、問題なのは実技だ。高校でトップクラスの彼ら
でも大学の教授には低いレベルにしか見られないかもしれないのだ。
「一〇七番の方どうぞ」
「よろしくお願いします」
　重たい空気の中、和馬はガチガチになって入っていった。
　そして数分後、何のミスもなくいつも以上の出来だったのか、会場から出てきた和馬の
表情はとても晴れていた。
「どうだった？」
　教室へ戻ってきた和馬に哉は問う。
「ん？まぁな、いつもより良い出来だよ」
　そんな言葉を聞いた哉は、ホッとした様子だ。
「一二〇番から一二九番の生徒さんは実技試験場へ・・」
　試験監督の先生がドアの外から叫んでいる。
「それじゃぁ行ってくるよ」
「頑張れよ」
　それだけ言うと試験会場へ・・・。
「一二七番の方どうぞ」
「失礼します」
　ドアの所で一礼するとピアノの前に座った。
　哉の自由曲はシューマンのトロイメライで課題曲はショパンの雨だれ。共に哉の得意な
曲である。
「ではどうぞ」
　試験官の合図で哉はトロイメライを弾き始めた。しかし、試験官の反応はなく、ただ耳
を傾けるだけであった。が、雨だれを弾き始めると試験官の目の色がほんの少しだけ変化
したのである。
「・・・・・！」
　哉の中では空白の時間がただ過ぎているだけであった。でもそれが試験官には曲のイメ
ージと哉が一体化したように見えたのである。
『もしかすると、今までにない素晴らしい生徒になるだろう』

「どうだった？出来たか？」
「いつも通りだよ。でも少し先生の様子が変だったけど・・・」
「へぇ──っそうかぁ」
　その帰り、久し振りに和馬のバンド練習を見に行き、受験で疲れた頭を切り換えるよう
に短い時間だが、楽しんできたようである。
　そしてそれぞれの大学入試も無事終わり、進学先も決まり、いつの間にか卒業式が近付
いてきていた。
　卒業と言っても哉と和馬は共に中音大に行くのだから別に悲しむこともない。また四年
間一緒に通うのだから。
「ねぇ、カズはバイト始める？」
「うーん。バイトかぁ。当分の間はしないつもりだよ。大変そうだからな」
「バンドは続けるでしょ？リンやテルは続けるって言ってたけど」
「もちろん。だってライブの予定あるしな」
　そうなのである。卒業式の日、近くのライブハウスを貸し切って『卒業おめでとうライ
ブ』をする予定になっていて、そこに和馬たちの他、卒業式を迎えるバンド数グループ参
加しての合同ライブなのである。
「卒おめライブかぁ。ちゃんと見に行くね」
「見に行く？何考えてるんだよ哉は。お前も失業式迎えるだろ？だからお前もメンバーに
入ってるんだけど」
「へ？僕が？何するの？？？」
「もちろん、演奏するんだって。中盤にダンスコーナーがあるんだ。だからそこを。イン
ストゥルメンタルばかりの曲でいいんだけど」
「ダンスコーナーでインスト？ふぅん。でも僕インストの曲なんて作ったことないし。し
かもダンスに合う曲だよね？」
「どんな曲でもいいよ。いろんな人が来るし。哉の持ち時間は三〇分、その間は自由に演
奏してくれればいいから」
　和馬は何だか楽しそうに哉に話している。それに比べ哉は判ってないフリをしながら和
馬の反応を楽しんでいた。
「僕たちの他に誰が出る？まさかＲＡＹとか・・・そんなこと・・」
「あるんだよ。メンバーリストに載ってたから。あとは、ＧＡＩＡとボーカルのみデビュ
ーが決まってるａｉｃｅだったかな」
「ねぇａｉｃｅって誰？」
「俺たちより年上のバンドなんだけど、ボーカルがデビューするからって今回のライブに
参加することになったんだ」
「へぇ」
　哉の頭の中ではどんな人達だろうと想像されていた。特にａｉｃｅと聞いただけで何か
感じるものがあったらしい。
　───そして卒業式、ライブ当日。
　卒業までの一ヶ月間、哉は曲作り、和馬はバンド練習とそれぞれの日々を過ごし、今日
に至った。もちろんその間には卒業試験も行われ、二人とも無事卒業することが出来た。
「今日は一度帰るんだよね？」
　式の最中、隣に座っていた和馬に小声で話しかける。
「もちろん家に帰って準備とかあるしな。でも来れるなら早めにな。ステージのセッティ
ングとかあるから」
　そして式が終わり、とうとうライブの本番である。学校から帰って準備を済ませると会
場へ向かう。今日のライブの会場は和馬の知人のライブハウスで行う。昔からの知り合い
ということもあり、お祝いとしてただで貸してもらえるのだ。
　しかし、そう物事が上手く行くことはない。早速トラブル発生である。
「えっＲＡＹのボーカルがまだ来てないって？」
「あ〜ぁやっぱり。だから嫌なんだ」
　焦る和馬とは対照的に平気な顔をする哉。
「やっぱりって・・・哉、お前・・・」
「ん？だって僕、一度彼らとセッションしたことあるんだよ。曲を提供した時に。その時
は予定の三〇分ぐらい後に来たし」
　哉の話に真っ白になってしまった和馬であったが、そんなことしている余裕はないと残
りのメンバーに迎えに行くように頼み、自分たちはリハーサルを始めることにした。
　今日の順番はＧＡＩＡ、ＲＡＹ、哉、ａｉｃｅそして和馬たちである。その順番でリハ
ーサルは始められ、哉と和馬は会場の後ろの方に座り、リハーサルの様子を見守りながら
話をしていた。
「ねぇカズ、今日くらいユニット名付けたら？」
「すぐ閃けばとっくに付いてるさ」
「ＪＵＮＯＮってのはどう？」
「それいいな。リンとテルに報告してくるよ」
　そう席を立った和馬は控え室のある奥の部屋へと消えて行った。それを見送った哉は、
目の前でリハーサルをするＧＡＩＡの方に目を向けた。
　彼らは四人グループの平凡なバンドである。レパートリーは何処にでもいるようなロッ
クな曲ではあるが、自分たちの世界観はしっかりしているようである。最近和馬がよく彼
らの話をしていたので哉もメンバーの事は多少ながらも知っている。ちょっと悪い奴らに
見えるが、いい奴らだとか。
　そんな事を考えながら見ているうちにいつの間にか哉の番がやってきていた。
　彼の機材はキーボード四台にノートパソコン一台である。接続を確認し、パソコンを起
動すると、シーケンサーを回した。するとそこからは今までにない音が流れてきた。
「何だ？誰だよ」
　奥の部屋にいた和馬たちも耳にしたことのない音に驚き、客席の方へと出てきた。
「哉？」
　和馬には未だ理解できなかった。いつもの曲とは全く違うのだ。自分だけかと思い、周
りを見てみたが全員動きが止まっている。それだけ哉の曲に聴き入っているのであろうか。
　そんな哉のリハーサルも一〇分程度で終了し、それとともに彼らの意識もはっきりして
きた。
「もう終わりか？持ち時間三〇分だぞ」
「うん。でもちゃんと持ち時間埋まるように準備してあるよ」
「何処に？」
　和馬の問いかけに哉は「ココ」と頭を指した。
「頭？もしかして即興？」
「そうだよ。だからこれ持って来たんだ」
　哉はキーボードの上に置いてあるノートパソコンを指した。
　あぁだこうだと二人が話している間にａｉｃｅのリハーサルが始まった。その時である。
「遅れてゴメン」
　集合時刻に遅刻し、メンバーに迎えに行ってもらっていたＲＡＹのボーカルが申し訳な
さそうな顔で会場に姿を現した。
「タク、遅すぎだよ。この遅刻魔が」
「本当にゴメン。このライブに哉も出てるなんてオレってついてねぇ」
　この後、ＲＡＹ、ＪＵＮＯＮとリハーサルを済ませ、開演を待つのみとなった。
　そして開演予定時刻。会場は既に友人やそれぞれのファンで埋め尽くされていた。和馬
たちの方も集合時刻に約一名間に合わなかったと言うことを除き、大したトラブルもなく
無事ここまで来ることが出来た。
「凄いなぁ」
　ステージの袖から客席を覗いていた哉はドキドキしながら自分の出番を待つ。
『─♪』
　客電が落ち、スタートを知らせるＳＥ音と共にステージ上にＪＵＮＯＮが姿を現した。
「こんにちは。ＪＵＮＯＮのキーボードの黒田和馬です」
「ギターの神谷皓人です」
「そしてボーカルの山住倫です。これから三時間思いっきり楽しんでいきましょう。では
トップバッターのＧＡＩＡです。どうぞ」
　三人がステージから捌けるとＧＡＩＡの演奏が始まった。リハーサル通りのメニューで
持ち時間をこなしてゆく。続いてステージに立ったのはＲＡＹである。
　彼らはボーカルのタク。キーボードのヒロ、ベースのシンジの三人で構成されており、
ロックとユーロが混じった感じの曲が中心になっている。しかし、ロックのくせにギタリ
ストが居ないという変わったバンドなのである。
　そうしている間にもう哉の番が来ていた。
　前の二グループが盛り上げてくれたお陰で観客のノリは最高である。
「ここから三〇分間はダンスコーナーなので自由に踊ってくださいね」
　アナウンスと同時にステージは明るくなり、哉は弾き始める。すると観客全員が踊り出
した。そして折り返し地点。観客は一瞬静まり返ったステージに目を見張る。すると哉は
高々と手を挙げると、リズム部を打ち始めた。
　次々と曲の全体が見え、何回か繰り返された後、初めの曲へと繋がっていった。そうな
るとこの哉のコーナーも佳境を迎える。
「最後まで踊ってくれてありがとう」
　それだけ言うとステージから降りた。
　続いてはａｉｃｅ。ここは女性一人、男性二人のユニットで、今度ボーカルのみデビュ
ーする。巷では人材育成ユニットと言われているらしいが真相を知る者は誰一人居ない。
　ここまでは順調に終わっていき、ライブも終盤を迎えた。
「西室くん、ここいいかな？」
　ＪＵＮＯＮの演奏を満足気に見ていた哉の横にａｉｃｅのボーカルの女性が座った。
「あっ・・し・・しお・・・・」
「汐咲黎菜よ。よろしく」
　黎菜は名刺を手渡した。
「あっ『リナ』って変わった漢字で書くんですね。『レイナ』とも読めるし」
「うんそう。よく間違えられるの」
「僕より一つ上なんですね」
　小さく書かれていた生年月日を見て哉は驚いた。
「そう。今、大学一年生」
「でもデビューしたら大学に行けなくなるじゃないですか」
「やめるの。一年で」
「えっ本道に？でも黎菜さんなら出来ますよ。歌も上手いし。ａｉｃｅの曲、もしかして
黎菜さんが作ってますか？そんな気がしてならないんですけど・・・」
「判る？本当はね。キーボード志望だったのよ。でもボーカルが居なかったからさ。哉く
んも知ってるかもしれないけどａｉｃｅは新人ミュージシャン育成のために作られている
から我が儘言えないし、だからといって自分の夢は捨てたくないし。まぁ歌嫌いって訳じ
ゃなかったから」
　黎菜は苦笑いをしてみせる。そして続けるように言った。
「デビューしたら思う存分キーボード弾けるし、今まで我が儘言えなかったからその分デ
ビューに関しては結構言わせてもらってるんだ。だって自分の仕事だもん」
　哉は黎菜の言うことが解る気がした。今、夢であってもいざデビューするとなるとそれ
が現実となって自分にのしかかってくる。自分の生活がかかってくる訳だからそれだけの
収入は必要になる。
「哉くんはどうなの？デビューしたいと思うの？色々な人に曲書いたりしてるけど」
「僕は別に考えていませんよ。今は好きでカズやタクたちに書いてますけど。あぁやって
本人たちが楽しんでくれればいいんです」
　哉はステージにいる三人を指した。ステージ上にはライブ音楽を楽しむ三人の姿があっ
た。
「本当ね。音楽は音を楽しむものだからね」
「はい」
　この後、ステージ上に全員集合し、ライブは無事、幕を閉じる事が出来た。