「とりあえず電源が稼動したら、データに乱れが無いか確認してＡｒｋの被害状況を調べ
て、パルメザン号の動向と本部への連絡もしないといけないな」
　そういった梨来は最後の部分にきて苦虫を噛み潰したような顔をした。よほど本部に連
絡をつけるのが嫌らしい。それに気づいたのか、気づいていないのか、エーシャは言う。
「そうね。とりあえずパルメザン号を放っとく事も出来ないし、追撃できるかどうかよね」
「追撃するんですか。被害も小さくないと思うんすけど…」
　雪蔵は少しばかり不安そうに聞く。
「Ａｒｋは最先端技術の集大成だからな、そういった時のための装備もしてあるんだ」
　へぇーと目を見開いて、興味深深といった様子で梨来の話を聞いている。そこにエーシ
ャが水を差すように口を挟む。
「修理代も馬鹿にならないのよね」
　梨来の動きが止まった。本部に帰ってからの事に思い至ったのだろう。顔が傍目にも引
き攣っているのがわかった。エーシャは楽しそうにその様子を眺めている。そして二人の
様子を眺める雪蔵がいた。その二人の様子を見て溜息を吐き、「そうだな」と力なく言う。
「でも司令官はよはんさんでしょう」
　その場の雰囲気に耐えられなくなったように、雪蔵は言う。
「そうね、とっても頼りになる司令官ね」
　楽しげに言うエーシャの言葉に、肩まで落とす梨来であった。
　梨来の心痛も理解できないわけではない。上層部に報告に行けば相手を挑発し、呼び出
しを受けては上層部に喧嘩をふっかける。そんなよはんの悪行を数え上げれば限がない。
その度に事後処理をしてきたのは梨来である。本部に帰るのは気の重い事であろう。もち
ろん他のメンバーが助け舟を出す事は無い。大変ね、の一言で終わりである。基本的に上
層部の人間とは折り合いが合わないので、自ら近づこうという者はいないのである。思考
の迷宮に迷い込んで行く梨来を目の端に止め、エーシャは唐突に話題を変えた。
「それにしても遅いわね。このままだと凍死かしら」
　冗談にもならない事をあっさりと口にする。この時電源が落ちてから既に２０分が経過
しており、タイムリミットまであと１０分である。実際既に空気には冷やりとしたものが
混じり始め、空気も薄く重くなり始めていた。
「まぁ、祐とＴＡＭＡを信じて待つしかないだろう」
　梨来は信頼を寄せているのか、楽天的なのかわからない事を言う。束の間仄かに辺りを
照らしていた非常灯までも消え、真の暗闇が訪れる。お互いだけが聞こえるのみの静寂の
中、息を詰めて事の成り行きを見守る３人の前で何度か瞬きをし、艦内の電気が一斉に着
いた。薄暗がりに慣れた目に強烈過ぎる光は目の裏に白光の輪を作り出す。３人３様に瞬
きをし、目を眇めながらメインスクリーンに視線を向ける。そこには赤で、ＤＥＮＧＥＲ
の文字が点滅している。各自のデスクで一斉にデータの起動が始まっており、膨大な量の
文字が画面を埋め尽くしている。
「電気が戻りましたね。何から始めればいいですか」
　ＳｐｅａＤ一年生の雪蔵が問う。
「まず、Ａｒｋの被害状況を調べて」
　腕に抱いていたシールを手近なデスクの上に置いて、自らもコンソールの上に指を這わ
せる。
「データ及び索敵システムに異常無いかも確認して」
　各自のデスクに向かい、あせる様子も見せず確実に事を処理していく。スクリーンの上
には時間を惜しむように数字と文字が現れては消えていく。
「被害状況出ました」
　始めに事を終えたのは雪蔵であった。初めての非常事態に冷静であるというだけでも非
凡であるのに、事を無駄なく処理できた事に対して何ら感慨を見せない辺りが、可愛げが
無いといえば言えなくも無い。当人にしてみれば出来てあたりまえなのであろう。
「データ及び索敵システムも問題ない」
　梨来の言葉が終わる頃、メインスクリーンに情報を含めたＡｒｋの姿が浮かび上がる。
その姿は角度を変え、被害の全容を示している。Ａｒｋの中央下部辺りに直径５ｍ程の半
円形の瘤が見える。現在もなお、パルメザン号はＡｒｋに食い込んでいるのである。そこ
には赤く吹き出しのような形で、ＤＥＮＧＥＲの文字が示されている。それ以外に特筆さ
れるべき事柄は図示されていない。それを一通りの角度から見た梨来が独り言のように言
う。
「あれはＤブロックだな」
「そうね。ＴＡＭＡとユウタロウは大丈夫かしら」
　エーシャが二人の安否を気遣う言葉を吐くが、口調は何ら心配している様子が窺い知れ
ない。表面上は二人を気遣っている、二人の安否は気遣っている。この時エーシャのみで
なく、梨来も雪蔵も一つ重大な事を見落としているのではあるが…その事に気づく様子も
見せず、雪蔵は一身にシステムの保護及びプロテクトに精を出している。梨来はその姿を
一瞥すると、艦内通信システムに手を伸ばした。
　何度か呼び出し音が聞こえ、回線の繋がる音がした。それと同時に梨来は二人に呼び掛
けた。
「祐、ＴＡＭＡは無事か」

　時は少し遡る。パルメザン号と衝突した直後、ＴＡＭＡと祐太郎は二人で暗がりの中を
懐中電灯と非常灯による光源を頼りに電気室へと向かっていた。
「それにしてもあいつらも無茶するよな。体当りだぜ」
　オレだったらやらないね、と感心した様子で祐太郎が言う。
「まぁな、さすがにここまでするとは思わなかった。宇宙法に反した程度でここまでする
とは思えないんだが…」
　ＴＡＭＡの言葉は正しい。宇宙法について反した場合、初犯であれば注意のみで済む。
他艦と接触した場合においても、大方は示談で済んでいる。警察が介入した場合において
も悪くて２年以下の懲役相手方に対する損害賠償で済む。死傷者を出した場合は別である
が。それがパルメザン号においては公務執行妨害、更には故意による計画的犯行まで加味
される事になる。何故そのような愚を犯すのか。ＴＡＭＡが言いたいのはそれである。故
にその裏にある考えを穿ちたくなるのも当然であろう。
「そう深く考えるなよ。それは上の奴らがやってくれるだろ」
　オレ達がするのは捕まえるまで、わざわざ面倒な事を背負込む必要もないだろ、と祐太
郎は楽天家としての性格を存分に発揮して言い放つ。
「それもそうだな。とりあえず、オレ達の役目は電源を復旧させること、か」
　そう言いながらもＴＡＭＡは足元から這い上がる寒気に身震いを一つした。それは下が
りつつある気温のせいであったか、未来に対する不安からであったかは本人でさえ定かで
はなかったであろう。
　彼らが現在歩いている通路の壁を隔てた向こう側にはパルメザン号が存在する事を彼ら
は知らない。この事実を知る者は現時点において、ＳｐｅａＤメンバーには存在しない。
知らないということは幸せなのであろうか。例えこの事実を知っていても、この二人なら
悠々とここを通ったであろう。パルメザン号の所在を知らない二人はセキュリティールー
ムのあるＥブロックへと真っ直ぐ足を向けて前進をする。
　長くも無い直線を真っ直ぐ進むと程なくして突き当たりに至る。防災用のシェルターが
降りており、そこには大きな文字で“Ｅ”と描かれている。このシェルターは核戦争にも
耐え得る設計が施されている。もちろんこれは、パルメザン号との接触の際彼らの手によ
って閉じられたものである。被害を最小限に抑えるためとはいえ、一度閉めたものを再び
開かなくてはならない。しかも現在は電源が落ちているため、人の労働力のみが頼みであ
る。祐太郎はＴＡＭＡの顔を見つめ、肩で大きく息を吸い、体全体で溜息を吐いた。
「はぁ〜。これを二人で開けるんだよな。…梨来も連れて来るんだった」
　そうぼやく祐太郎にＴＡＭＡが切り返す。
「芙蓉はいいのか」
「あいつってひ弱そうじゃんか。それに比べて梨来はこういう時のためにいるようなもん
だろ」
　日頃見かけによらない怪力ぶりを発揮している梨来は、“気は優しくて力持ち”という
言葉が誰よりも似合うのである。力仕事を押し付ける、もとい任せるには申し分のない人
材である。
「今更言っても始まらんだろう。やるしかない」
　ＴＡＭＡの答えは簡単明瞭であり、正論であった。祐太郎は仕方なさそうに、実に仕方
なさそうに「そうだな」といって思い溜息を吐いた。
　まずは壁に埋め込まれているレバーの蓋にキーを差込み、蓋を開く。レバーを引き出し
手動に切り替え、右を祐太郎、左をＴＡＭＡが受け持ち左右に押し開く。人一人入る事の
出来るスペースを時間をかけて開く事に成功した。しかし体力は著しく消耗されていた。
肩で息をしながらその場に座り込み祐太郎が毒づく。
「やっぱ梨来を連れて来るべきだったな。オレ達だけこんなめに合うなんて不条理だ。帰
ったら夕飯でも奢らせてやる」
　ＴＡＭＡは無言でその言葉を聞いている。自らどうこうする気はないが、奢ってもらえ
るなら奢ってもらう、との意思が働いている事は明らかであった。特に奢ってもらうこと
に執着がないのも事実であろう。そんな事は言葉の端にも表さず、ＴＡＭＡは祐太郎に言
う。
「先に行こう。時間がない」
　時間がない、空気が薄くなってきている事と体感温度が下がってきていることを言って
いるのである。
　扉を潜り右に折れ、すぐのＴ字路を左に入った突き当たりの右手側に目的の部屋はある。
扉には「立ち入り禁止」のプレートが掛っている。ＳｐｅａＤメンバー及び専属メカニッ
ク以外立ち入る事が無い筈だが、律儀にもプレートが掛けてあるのである。その扉の鍵を
開け中に入ると、いつもは鬱陶しいほどの機械の稼動する音とそれから生まれる機械臭が
鼻をつくが、現在は静かな闇が支配する空虚な洞のような印象を与えている。
　ＴＡＭＡ、祐太郎の順で部屋に入り懐中電灯で目的の物を探す。それはすぐに見つかっ
た。入り口から入って右手に電源があり、左手奥に予備電源が置かれている。始めに予備
電源に近づき様子を見るが、何ら異常は見られない。隈なく調べたが理由は依然として判
明しない。お互いに相手の顔を窺い、次に電源に近づいた。
こちらはショートした理由を見つけるのにさしたる時間は掛らなかった。とはいえ、修理
するのにかなりの時間が掛る事は明らかであった。ここに至るまでにだいぶリミットの半
分以上を経過している。直している時間はない。だからと言って、何もしないわけにはい
かない。許された時間の中で、最大限の努力はしなければならない。
　内部を保護するためのカバーを外し、故障の個所を探す。損害の状況から判断し、一部
回路を付け替える事にした。一つ一つ直すより早いと判断したからである。ＴＡＭＡが立
ち上がり、周りを見回し、取替え用の部品を探す。常設の位置には存在しない。先程の衝
撃で殆どの物が放り出されてしまったらしい。事実床の上には部品や工具が散乱している。
それぞれには部品番号が記されているが、その全てを一々調べるのには時間が圧倒的に足
りないのである。取りあえず形の似た物を手当たり次第に手に取ってみる。そのＴＡＭＡ
に祐太郎が声を掛ける。
「なぁ、これって…」
　祐太郎の視線の先には原因不明で稼動しない予備電源がある。特に先程と変わった様子
はない。ＴＡＭＡは祐太郎に視線を移す。無言で続きを促した。
「正面右上にスイッチがあるだろう。そのスイッチだけど、誤作動防止になってないか」
　祐太郎の言葉に虚をつかれ、まじまじとその顔を見つめ、同様に予備電源も眺めた。眺
めたところで答えが出る訳でもないのだが、時間を掛けて両者を見つめた後に、以前一度
だけ見たマニュアルを思い出す。記憶の底から始めに取り出されたのは回路の図面であっ
た。それを頼りに更に記憶を遡る。幾つかの記憶を通り過ぎて、やっと必要とする事柄が
浮かび上がってきた。
　言葉も無いとはこの事であろう。埃を被っていた記憶から見たものは『機能を保護する
ため、強い衝撃を受けると自動的に自己保全システムが起動する』というものであった。
その際、それを解決する手段が祐太郎の言ったスイッチであったのである。これを解決す
る手段は一つ、今下を向いているスイッチを上に切り替えればいいのである。内心の行き
場のない憤りを表に出さず、ＴＡＭＡはスイッチを上へと切り替えた。
　スイッチが切り替わったのと同時に起こる機械の稼動音。エラーを起こす様子も見せず
予備電源は稼動した。
　ほっとするのと同時に、この時ばかりは性能の良さに憤りを感じずにはいられなかった
ＴＡＭＡと祐太郎であった。憤りを感じるのとは別に仕事はまだ終わったわけではない。
中断された電源を修復する作業が残っている。特に急ぐ必要も無いが、直しておいて損に
はならないので『今日出来る事は、今日の内に』の言葉もあるように、早めに済ましてお
こう、という理由からもう少しこの場に留まる事となったのである。
　二人で床に這いつくばる形で部品を探しているところに梨来の声が降ってきた。
「祐、ＴＡＭＡ無事か…」と。
　祐太郎が立ち上がり、壁に取り付けられた艦内通信機に歩み寄る。
「梨来か、オレ達は無事だよ。ちょっと手間取ったけどな。まだ遣り残した事があるから、
もう少ししたらそっちに戻るよ」
　予備電源の自己保全システムについては触れずに言う。先程まで感じていた憤りは、自
己嫌悪に変わっていた。気づいて然るべき事柄に気づかなかった自分を知られるのは恥ず
かしいのであろう。そういった、内心の葛藤を知るべくも無く、梨来は二人に労いの言葉
を掛ける。
「そうか、早く戻ってこいよ。そうだ、Ｄブロックにパルメザン号が食い込んでいるから
気をつけろよ」
　そういって通信は切られた。梨来はあっさりと爆弾発言を残していった。
「食い込んでるってどういうことだ」
　祐太郎が内心の思いを無意識に口に出した。
「どうもこうもないだろう。言葉そのままじゃないのか」
　身も蓋も無い事を言う。祐太郎はあっそ、といって次なる質問を投げ掛ける。相手にさ
れないとわかっていても聞かずにはいられないらしい。
「乳星人ってどんな奴らだと思う。無茶苦茶な奴らだってのはわかったけどさ」
「会った事無いから、わからん。…だがかなりのチーズ好きらしいという事は聞いた事が
ある」
　ＴＡＭＡは大真面目な顔をして言うと、手に持った部品の番号を確認して祐太郎に向け
て放り投げた。
「さっさと終わらせて戻ろうぜ」

　通信を切ったメインルームでは、残留三人組がエーシャのいれた紅茶を飲みながら、他
愛も無い話をしていた。そこに新たな警告音と機械が作り出した女性の声が響いてきた。
『火災発生、火災発生。Ｄブロックにて火災が発生しました』
「あら、火災ですって」
　高みの見物を行なう主婦のような口振りでエーシャが言う。
「Ｄブロックのどの辺りだ」
　梨来の問いに、雪蔵が答える。
「Ｂブロックよりですね。…そういえば、よはんさんは…」
　その言葉に梨来がはた、と動きを止めた。その様子をエーシャは面白そうに眺めている。
「多分自室じゃないかしら」
　声にもはっきりと楽しんでいる様子が現れている。梨来は真剣な面持ちで何事か考えて
いる様子を見せたが、徐に立ち上がった。
「よはんを迎えにいってくるよ」
　その様子を見て、エーシャが梨来に言う。
「ＴＡＭＡとユウタロウが戻ってきてからの方がいいんじゃ…」
　梨来はその言葉に表情を和らげて言う。
「よはんのことだからまだきっと寝てる。逃げ遅れるかもしれないから、先に行ってくる。
二人はここに残ってＴＡＭＡと祐が戻ってきたら、後から来るように伝えてくれ」
　そう言いさす梨来にエーシャが言う。
「私は一人で大丈夫だから。フヨウを連れて行って」
　その言葉に雪蔵は、目に強い意志を湛えて「ボクも行きます」と言って立ち上がった。
でも、と梨来は躊躇う様子を見せるが、口でエーシャに敵う筈も無くにこやかに手を振る
エーシャに「いってらっしゃい」と二人は送りだされたのであった。
　扉の閉まる音を背後で聞きながら、真っ直ぐにＤブロックへと足を向けた。二人肩を並
べて言葉少なに通路を足早に歩いていた。道程の中程辺りまで来たところで、雪蔵が口を
開いた。
「よはんさんって、何時もこんな風なんですか」
　梨来は何の事かといった顔で、問い返す。
「こうって」
　雪蔵は一瞬躊躇う様子を見せ、意を決した様に言う。
「ボクが入って、二度ほど仕事を御一緒させて頂いたんですけど、役に立っているの見た
事ないんです」
　仕事をしているのも見た事無いですけどね、とも付け加えた。その言葉に梨来は虚を衝
かれたような顔をして、後に苦笑を漏らした。
「そうだな、何時もこんな風だ。役に立たないわ、仕事をしないわ、問題を起こすわ、人
の足を引っ張るわ、散々だな」
　雪蔵は梨来の言葉に「じゃ、なぜ」と素直な疑問を返す。
「その内わかると思うけどな。司令官があれだから、自由に出来るし縦関係なんてものも
ないしな。俺縦関係って嫌いなんだ」
　梨来は笑って言う。雪蔵がよくしゃべる事に驚きつつも、些細な事に興味を示す雪蔵が
年相応に見えて微笑ましく見えたのである。その後も他愛もない話をしながら、長くも無
い通路を歩いていくと、目の前に大きく“Ｄ”の書かれた扉の前にでた。
「さて、どうするかな」
　梨来は一言呟いて、辺りを見渡した。何かを逡巡するように首を傾げ、雪蔵の上に視点
を結ぶ。梨来が口を開けかけた時、先に雪蔵が口を開いた。
「梨来さん…何か焦げ臭いです」
　雪蔵の言葉に、梨来は臭いを嗅ぐ素振りを見せ「そうだな」と呟いた。受け答えはあっ
さりとしているが、これは大変な問題である。現在各ブロックは完全に閉鎖されており、
それらのシェルターは核融合爆発が起きても耐え得る設計が施されている。更に密閉性に
おいても、これに並ぶものは無いというほど性能のよいものである。それが、別のブロッ
クで起きた火災の匂いが、伝わってくる事は不自然である。
「まずいな」「まずいですね」二人は同時に呟き、作業に取り掛かった。先刻ＴＡＭＡと
祐太郎が行なった手順を踏んで、梨来が右を雪蔵が左を受け持ち、全体重をかけ左右に押
し開く。が、扉は僅かに開いたのみで人一人通る事は不可能であった。いくら梨来が怪力
とはいえ、雪蔵は体も小さく体重も軽い上に体も出来ていない。それを補うだけの力は流
石の梨来にも出来かねる事であった。再度挑戦しようとしたところ、後ろから声が飛んで
きた。
「なにやってんだ」
　作業を終え、メインブリッジに戻り、事の顛末をエーシャから聞き後を追いかけてきた
祐太郎とＴＡＭＡである。
「まぁたこれかよ」
　祐太郎がぼやく。口では文句を言いながらも、手は扉へと伸び雪蔵に下がっているよう
に指示すると、梨来とふたりで、シェルターを開き始めた。多少時間が掛ったものの、今
度は難無く開かれた。開いた扉の隙間から、白い煙が隙間を縫う糸のように静かに流れ出
てきた。梨来は声を張り上げて、よはんを呼ぶ。
「よはん、よはん無事か、無事なら返事しろ」
　答えは沈黙によって返された。梨来はよはんの名を呼びながら、足を一歩中に踏み入れ
た。そこは一面の白い煙と機械の焼ける異臭に支配された、別世界であった。煙に反応し、
スプリンクラーが水をあたりに撒き散らしている。梨来に続き、祐太郎、雪蔵、ＴＡＭＡ
の順で中に入ると、シャワーのような水に全身がずぶ濡れになり、体温を奪おうとする。
「よはーん。無事か、無事だったら返事しろ」
　ＴＡＭＡが声を張り上げる。声は虚しく煙の中へと吸い込まれていった。所在がわから
ない以上、むやみやたらに探し回っても仕方ないとの見解から、四人は連れ立ってよはん
の私室へと向かう事にした。ピシャッ、ピシャッと水を踏む音が続く中、ムギュッという
異質な音がした。梨来は踏んだものが何か調べようと足で、その物体を転がしてみた。急
に立ち止まった梨来に雪蔵が声を掛ける。
「どうかしたんですか」
　梨来は視線を固定したまま言う。
「いや、何か踏んだんだ。結構柔らかいんだけど」
　なんだなんだ、と言いながら、ＴＡＭＡと祐太郎も梨来の足元を覗き込んだ。それは、
黒い塊であった。周りを毛のようなもので包まれている。本体部分から足のようなものが
生えているようにも見えた。
「よはん」
　始めに声をあげたのは誰であったのか、とりあえずよはんを発見できた事を喜び、意識
の無いよはんを外に連れ出すことにした。全身の毛に多量の水を含んだよはんは常より更
に重かった。ＴＡＭＡが腕を、祐太郎が足を持って、まさにこれから火にかけられる豚の
ようによはんは外へ連れ出された。
　外に連れ出されたよはんの後頭部には大きな瘤がついていた。それ以外に外傷の無い事
を確認するとＴＡＭＡが上司に対する事とは思えない事を口にしたのである。
「こいつどうする。背負っていくか、引きずってくか」
　祐太郎が間伐おかずに言う。
「引きずってけ、引きずってけ、こいつはそれで十分だ」
　それを聞いていた梨来が「俺が背負っていくよ」と言って、よはんを抱え挙げた。隣に
はいつのま見つけたのか、よはんの鞄を手に抱えた雪蔵が立っていたのである。
　びしょ濡れになった体を引きずって、四人と一匹はメインブリッジへと足を向けた。こ
の時、閉じられたＤブロックの中で小さな影が蠢いていた事に気づくものは一人も存在し
なかったのである。意識をなくしているよはん以外…

　その頃エーシャはオペレーションルームの中で一人寛いでいた。シールをひざの上に乗
せ、その頭を撫ぜながら、暢気にティータイムを満喫していた。シールの後頭部にはゴル
フボール大の瘤ができていた。それはよはんの頭に出来ている瘤と全く同じ位置にあった。
両者が気づいた暁には一騒ぎ起こるであろうが、幸か不幸かこの時点において二人とも眠
りの中である。
　エーシャが寛いでいる間、四人は一匹を抱えて短くない距離を歩いていた。途中何度も
放り出そうとして、それでもなんとか交代でよはんを抱えながらオペレーションルームが
視界に入る位置にまでやってきた。水に濡れ重く感じられる体を引きずって、オペレーシ
ョンルームの中に足を踏み入れた。よはんを抱えた祐太郎とＴＡＭＡが最初に入り、次に
梨来が続き最後に雪蔵が続いた。その雪蔵が部屋へ入る際、ふと後ろを振り返った。振り
返った先には何も存在せず、首をかしげながら部屋の奥へと進み、扉は閉ざされた。故に
気づかなかったのである。通路を這う小さな影の存在に…
「お帰りなさい」
　エーシャのにこやかな応対におざなりな返事をして、どかっと椅子に腰を下ろす。よは
んは部屋の隅に転がされた。誰にも疲労の色が濃い。人の事を気遣う余裕も無い様子で、
ぐったりと椅子に凭れ掛っている。体力には自身のある祐太郎であるが、精神的疲労はそ
う易々と克服できるものではない。一人元気なエーシャが皆にタオルを手渡しながら、
「何か温かい物でも飲む」と言って、隣室へと姿を消した。数秒後拍子外れの声が聞こえ
てきた。
「あら〜」
　今度は何だ、とぞろぞろとエーシャの後を追って隣室へと足を向ける。そこはごみ溜め
のような様相を呈していた。机の上には喰い散らかされた穀類が散らばっており、牛乳を
入れておいた瓶は横倒しになり中身をぶちまけている。床の上には果物が何かにかち割ら
れたように潰れて放置されている。
「エーシャ。いくらイライラしてるからっていってこれは遣りすぎじゃねーの」
　冗談半分に言う祐太郎をチロリとねめつけて言う。
「私じゃないわよ」
「他に誰が居るんだよ」
　さっきまでここに一人で居たのお前一人だろ、とエーシャを挑発する事を言う。
「まぁまぁ、祐もつかれているんだ。いつもの悪い冗談だよ」
　目つきが剣呑に鳴ってきたエーシャと祐太郎を梨来が宥めていると、雪蔵が無言で戸棚
の方を指差した。ＴＡＭＡがそちらに目をむけた。
「どうかしたのか」
　雪蔵が見ているものがわからず声を掛けた。
「あの戸棚の影に何かが動いているんです」
　その言葉を聴き終えない内にＴＡＭＡは歩き出した。視線は雪蔵の指した一点に集中し
ている。特殊部隊時代の経験を存分に生かして足音を立てず、殺気も完全に消して忍び寄
る。しかし僅かな衣擦れの音が原因か、黒い塊は俊敏な動きで戸棚の隙間に逃げ込んでし
まった。
「確かに何か居るみたいだな」　　
　ＴＡＭＡは右手の親指と人差し指で大体の大きさを示して見せた。親指と人差し指との
間は１０?程に広げられている。
「ゴキブリではないですね」
　雪蔵の言葉に過剰反応を起こしたのはエーシャであった。
「いや〜！そんな大きなゴキブリなんて嫌！小さくても気持ち悪いのに…」
　頭の中で１０?大のゴキブリと想像してエーシャは言う。
「違う。多分あれは…鼠だ」　
　ＴＡＭＡは静かな声で言う。
「鼠か。それならこの現状の説明がつくな」
梨来の言葉に雪蔵が言う。
「でもどうしてこんな所に鼠がいるんですか」
　それに対し、祐太郎は言い放つ。
「どうもこうも居るもんは仕方ないじゃないか。それよりも、この惨状一匹だけで出来る
と思うか」　
　確かに、祐太郎の言う事は正しい。今朝の時点では何ら異常はなかったのである。時間
にしておおよそ四時間程である。その間にたった一匹の鼠にこれだけの惨状がつくれる筈
はないのである。
「鼠ならいいものがあるわ」
　ゴキブリではないと知って気を取り直したエーシャはそう言うと、棚の中を引っ掻き回
し始めた。棚の奥から引っ張り出されてきたのは、粘着テープととりもちであった。
「以前、近所で鼠が発生した時、一番捕獲率の高かったものよ。商品名は何故か『チュー
パンチ』だったわ。それをつくりましょ」
　エーシャは実に楽しそうに提案した。が、それに対する反応はあまり良いとはいえなか
った。
「本当に有効なのかそれ」
　祐太郎が気乗りしないという様子で言う。それに対し雪蔵が重々しい声で返す。
「時に最先端技術より古典的手法の方が、確実な成績をおさめるんですよ」
　何か性格変わってないか、というＴＡＭＡにこれが地ですと冷たく言い放つ。
　まぁまぁ、とまとまりの悪い人間をまとめるのも上に立つ者の仕事である。梨来が何と
か事を収拾し言う。
「やってみる価値はあるだろう。祐もいいか」
　一方的な強制をしないところが、梨来らしいところであり、よはんとの違いがここであ
ろう。わかったよ、とぶっきらぼうに言って、エーシャからとりもちをふんだくると、黙
々と作業を始めた。一度作業を始めてしまえば、何でも楽しんで出来る祐太郎の事である。
面白そうに鼠の通りそうな部屋の四隅や、壁際にとりもちを仕掛けていった。ＴＡＭＡも
粘着テープを同じように仕掛けていった。
「こっちは終わった」「こっちもだ」祐太郎とＴＡＭＡが言うと、「じゃ、外に出てまし
ょ」と言う声が掛り、全員メインブリッジに戻る事になった。外に出てみると、エーシャ
と雪蔵の手にはティーセットとお菓子の容器を持っていた。
　いつのまに準備したのかと、呆れながらも梨来は電気を落とし、扉を閉めた。あとはあ
る程度放置し、様子を見ればよいのである。誰一人大した成果を期待してはいなかったの
であるが…
　お茶を飲みお菓子を摘みつつ、ゆったりとした時間が過ぎて行く。その滞った時の流れ
を破ったのは雪蔵であった。
「何か寛いでるところでこんな事言うのも何なんですけど、パルメザン号の事はいいんで
すか」
　雪蔵は本気で忘れてはいないであろうと思い、声を掛けたのである。しかし自分の考え
が甘かった事を認めないわけにはいかなった。「鼠なんかよりよっぽど重要だと思うんで
すけど…」語尾は消え入るように呟かれた。
「ああ、すっかり忘れてた」
　祐太郎など、悪気もなさそうに泰然として言う。
「だってさ、どんな奴らかわかんねーし、大人しいじゃん」　
　大人しいからいいというものではないであろうに、当然とばかりに言い放つ。その言葉
を聞いてエーシャが「そういえば」といそいそと立ち上がり、自分のデスクに向かい通信
画面を開く。そこには本部からの返信が届いていた。
「さっき、本部にパルメザン号と乳星及び乳星人についての細かなデータ―を問い合わせ
たんだけど…」
　そう言ってエーシャは映像をメインスクリーンへと送る。メインスクリーンに映し出さ
れた映像は、乳星と思われるチーズの形をした惑星と乳星人と思われる人の姿であった。
乳星は八分の一にカットされたチーズの形をしており、所々に気泡でできた穴のようなも
のも存在する。それよりもみなの注意を引いたのが乳星人の容姿であった。
　乳星人の平均身長が１０?程で特長は耳と尻尾である。その両者とも鼠の者に酷似して
いた。そう、それは縮小された人間に鼠の耳と尻尾を付けたような容姿であったのである。
更に留意すべき点がある。文字として綴られた彼らの性癖は、鼠と同じく暗所を好み、動
きも俊敏である……と。
　それは、隣室を荒らした犯人ではないのか。ＴＡＭＡは鼠のようだと言った。とはいえ
はっきり確認したわけでもなく、ＴＡＭＡの持つ知識の中から最も近しい物を選び出した
にすぎないのである。
「牧村」ＴＡＭＡが声を掛け、お互いに目で合図を送る。立ち上がろうとした時、後ろで
扉が開き、閉まる音がした。全員の視線がそちらに向いた。
「よはんさんが…」
　雪蔵が躊躇いがちに言う。よはんが横になっていた位置にはその姿はなかった。息を殺
して見守る中、再び扉が開いた。固唾を飲んで見守る中、よはんが寝ぼけ顔で現れた。全
員が見守る中、よはんはもと居た場所に戻り、ごろりと横になった。
「…よはん」
　梨来がさり気なく声を掛けるが反応は無い。ＴＡＭＡも同じように声を掛けるがやはり
反応はない。遠めからよはんを眺めながら、雪蔵が呟いた。
「無傷みたいですね。思い過ごしでしょうか」
　いや、違うと思うぞ。なんせよはんだからな、そう言ったのは祐太郎であった。どこま
でも上司を蔑ろにする男である。
「様子を見てきましょうか」
　雪蔵が立ち上がり、隣室へと向かう。扉を開き壁に取り付けられたスイッチをＯＮにし
て、部屋に明かりをつける。部屋の中には生き物の動く気配は無い。変化の無い事を見届
けて、引き返そうとして一つの粘着テープに目がいった。そこには何かが引っかかってい
た。雪蔵は近づき、しげしげと眺める。それは先程見た乳星人の映像そのものであった。
　雪蔵は乳星人の掛った粘着テープを剥がそうとして、屈み込んだ所で、またも扉の開く
音がした。びくりと肩を揺らして、振り返る。相手が誰であるか判明して雪蔵はほっと息
を吐いた。
「シールさん。びっくりさせないでくださいよ」
　その声が聞こえているのかいないのか、ふらふらと空を飛んで流しに近づくと、水を出
し行儀悪く、流れ出る水にそのまま顔を近づけて飲む。水を止めたところでシールの動き
が止まった。その様子を窺っていた雪蔵は、シールの様子に不信感を受け、声を掛けた。
「シールさ…」
「ふぃぎゃぁー」
　シールが叫び声をあげた。その声に雪蔵は驚き、立ち竦む。
「ど…どうしたんですか」
　雪蔵の言葉を天の助けとばかりに、シールは雪蔵の顔にへばりついた。その間も声の限
りに叫んでいる。
「シ…シールさ…」　
　シールは興奮のあまり雪蔵の顔を思いっきり、爪を立てて引っかいている。
「わわわっ…」
雪蔵の声に重なるようにもう一つの叫び声が響き渡った。
「チュイー…」
　呆然自失となっていたのはシールだけではなかったらしい。チュイーチュイーチュイー
と立て続けに泣き声をあげた。それは、切羽詰まった状態から解放されるように、仲間に
助けを呼ぶように。事実、仲間が物陰から現れ始めていた。しかし雪蔵はそれを知ること
は叶わなかった。シールが顔に張り付き、乳星人どころか視界の全てを閉ざされていたの
である。だから雪蔵は知らなかった、乳星人が何をしようとしていたのか。彼らは自らの
サイズにあったバズーカ砲で雪蔵を狙っていたのである。
「チューチューキャノン発射」
　掛け声とともに小さな銃口から白光が迸りでた。その光は雪蔵とシールを包み込むのに
十分であった。

「芙蓉の奴遅いな」
　ＴＡＭＡが言うと、そういえばと、祐太郎が言う。
「シールもさっき中に入っていっただろう」
　飼い主さんどうなってるんだ、という問いにはそんな事まで責任は持てないわという返
事が返ってきただけであった。
「それにしても遅いよな。様子見に行った方がいいかな」
　梨来の言葉に、それは過保護と三人から同時に言われてしまい梨来は動く事ができなく
なってしまった。それでも…などとぶつぶつと呟いているとガチャッと扉の開く音が聞こ
えた。
「雪、どうしたんだ。遅かったじゃないか」
　梨来の言葉は口から発せられた途端、宙に浮いてしまった。
「シリィ。どうしたの、フヨウから離れなさい」
　エーシャはシールの羽を掴むと、雪蔵の顔から引き剥がした。
「マスター、マスター。ね…鼠―」
　シールは泣きながら訴えるが、脈絡もなく同じ事を繰り返すシールから正確な情報を売
る事は出来なかった。次に顔を抑えている雪蔵に声を掛けると、辛そうに顔をしかめなが
ら一言「乳星人」とだけいった。
「乳星人がどうかしたのか」
　誰もが頭の中を疑問符で一杯にしていると、足元を何かが走り抜けていった。そちらも
かなり混乱している様子で、何も無いところでけ躓いていた。こけた乳星人の尻尾を靴で
踏みつけると祐太郎は、ひょいっとそれを摘み上げた。まじまじとそれを眺めて溜息を一
つ吐いた。
「オレ達はこんな奴らに振り回されたってのか。情けねー」
　そういいながら、乳星人をぷらぷらと揺らして遊んでいると、足元に仲間を助けようと
乳星人が群がり始めた。祐太郎はそれを一蹴すると、すたすたと歩き始めた。踏まないよ
うになどという心遣いは一切働かせず、ズカズカト歩む。ＴＡＭＡも梨来も同じような状
況にあったがエーシャだけはどういうわけか違っていた。
　明らかに乳星人達はエーシャを避けていた。いや、エーシャの持っているもの、つまり
シールを警戒していたのである。本部からの情報に載っていない事ではあるが、乳星人は
ファリー種を天敵としていたのである。ファリー種はシールの種族であるが、奇妙な事に
シールは鼠が大嫌いであった。とはいえ、この事に何時までも気づかないほどエーシャも
愚鈍ではない。乳星人がシールを敬遠しているらしい事を悟り、無常にも泣きつくシール
を引き剥がし、乳星人の群れの中に放り込んだ。
　阿鼻叫喚、断末魔の叫び声の聞こえる中、よはんは未だに眠りを貪っていた。乳星人た
ちも部が悪いのを悟り、この中で一番無謀備なものを狙う事に焦点を絞ったようである。
眠りこけるよはんに乳星人達が群がる。群がろうとしたその瞬間、よはんが寝返りを打っ
た。ムギュウゥと幾匹かの乳星人がよはんに押しつぶされた。
　するとどうであろうか、今まである程度のまとまりを見ていた乳星人達は、一気に結束
を失い、右往左往し始めたのである。先程までの統率力はどこへ行ったのか、いぶかしむ
ＳｐｅａＤメンバーの前で、呆気なく乳星人は自滅の道を転がり始めた。そう、それは彼
らの宇宙船パルメザン号の得意とするところに良く似ていた。
　何やら呆然と事の成り行きを窺っていた祐太郎たちであったが、赤い蝶ネクタイをした
乳星人の言葉に、よはんの下敷きになっていた乳星人を摘み上げた。
「あぁっ、隊長…」
　乳星人の間から悲痛な叫び声が沸き起こった。今まで、右往左往していた乳星人たちで
あるが、いきなり統率力を発揮し、祐太郎の下に群がり始めた。
「隊長、隊長を離せ！」「隊長ご無事ですか、今お助けします」と口々に叫びながら、祐
太郎の足に齧りつく。しかし当の祐太郎は何だこいつらは、という顔をして足を一振りす
る。何とか足にしがみついていた者も、振り落とされてしまう。　
　阿鼻叫喚、乳星人達にしてみれば正に地獄絵図のような光景が繰り返されていたが、人
間からしてみれば、喜劇のようであった。祐太郎は足に纏わりつく乳星人をものともせず、
面白そうに歩き回っていた。
「なぁ、隊長ってこいつの事かな」
　指で掴んでいる乳星人を目の高さまで持ち上げて、祐太郎がＴＡＭＡに問う。
「そうなんじゃないのか」
　なんせこの様子は尋常じゃない、乳星人の慌てぶりを面白そうに眺めながらＴＡＭＡが
言う。楽しそうに語る二人に、一匹の勇敢な乳星人が正面に立った。彼らにしてみれば、
自分達の隊長を楯に声高く嘲笑する魔王のように見えていたに違いない。
「隊長を放せ」
　真剣な顔でそう叫ぶと手に持った物を肩に担ぎあげた。それは人の小指くらいの大きさ
の筒であった。今度は何を披露してくれるのか楽しみにしていた面々は、興味深げに事の
成り行きを見守っている。
「離さなかったら」
　揶揄を含んだ祐太郎の声に、勇敢な乳星人の若者はめにもの見せてくれる、と負ける事
が決まっている悪役のような台詞をはいた。と同時に、肩に抱え上げられていた筒から白
い光が迸りでた。その光は網膜を焼くほどの強さでもなく、その光が直に当たった祐太郎
でさえ、きょとんとして光の当たった自分の足を見つめていた。その祐太郎にエーシャが
声を掛けた。
「大丈夫、何ともないの…」
　一同が祐太郎の返答を待っているのがその場の雰囲気からも見て取れた。その間も乳星
人達は何とかして隊長を助けようともがいていた。
「ああ、別に何とも…無いでチュウ…」
「チュウ？」
　全員が素っ頓狂な声をあげた。
「あれ…オレ何か変なこと言ったチュウ…」
頭を掻きながら祐太郎が言う。
「本当に気づいてないんですか」
　雪蔵が口を開くと同時に先程の若者が口を開いた。
「私達を見縊っているからだ。思い知ったか“チュウチュウキャノン”の威力」
　胸を逸らし大言を吐く。がＳｐｅａＤの反応は冷たかった。
「チュウチュウキャノンだってよチュウ」と祐太郎が言えば、ＴＡＭＡは「お前自分の言
ってる事自覚してから言え」と返す。
「お前ら恐ろしくないのか」
　声を震わせて信じられないと呟く乳星人に、エーシャが近づく。その腕には半泣きのシ
ールがくっ付いていた。「マスター」と涙声で訴えるシールを無視して、エーシャが乳星
人の前に来ると徐に、シールを引き剥がしその若者に突きつけた。
「ちゅうぅぅぅぅぅぅ…」
「ふぃぎゃあぁぁぁぁ…」
　二種類の悲鳴がこだました。隊長の事に必死で、シールの存在を忘れていた乳星人達は
部屋中を駆けずりまわりはじめ、中には隣室へ逃げ込む者までいた。エーシャ、そう止め
たのは今まで存在感の薄かった梨来である。　
「遊ぶのもその辺にして。シールが泣いているじゃないか…」
　仕方ないわね、とエーシャの腕に捕まってえぐえぐ泣いているシールの頭を一つ撫ぜ、
祐太郎の前に立ち、隊長と呼ばれていた乳星人に声を掛けた。
「あなたがパルメザン号の艦長ですね、何も取って喰おうってわけでもないんですから、
少し話でもしましょう」
　そういって微笑む梨来に不信の目を向ける。梨来は構わず続ける。
「俺はＳｐｅａＤの…ＳｐｅａＤは知ってますよね、の副司令官で牧村梨来といいます」
　沈黙を通す隊長に祐太郎は、梨来は甘過ぎんだよ、と言って尻尾を掴んで振り回し始め
た。
「…うわぁぁっ、い…言う、言うから止めてくれ…」
　その声を聞いて祐太郎は手を止めた。ほうっと息を付く間もなく、名前はと底冷えのす
るような声で祐太郎は聞いた。隊長は恐る恐る話し始めた。話によると、隊長の名前はメ
ルディアスといい、悪気は無かったと言う。犯人とは大抵悪気がなかったというのが筋で
ある。
「どうして逃げたんだ」
　梨来が問うとメルディアスは自嘲気味に言う。
「…追っかけられたから。普通悪い事してなくたって警察に追いかけられたら逃げたくも
なるだろう」
　ましてやオレ達なんて宇宙法無視してんだしさ、オレ達は悪くないと言外に言っている。
「とりあえず、本部まで一緒に来てもらおうか」
　梨来の言葉にメルディアスは反発する。
「何で、オレ達が。絶対嫌だからな」
「嫌でも何でも来てもらうさ。それとも、また振り回されたい」
　悪魔のような笑みで祐太郎が言う。その言葉にドゥビートはおとなしくなった。
　その他の乳星人はさっさと投降していた。勝ち目は無いと判断したのであろう。よはん
に下敷きにされていた乳星人は、全部で七匹存在したが、そのうちの三匹が圧死する寸前
であった。それをＴＡＭＡが助けている間に、雪蔵が隣室を除くとそこには取り持ちと粘
着テープにがんじがらめになった乳星人が二十匹ほどいた。それらを一匹づつ助けてやり
ながら、本当に古典的な手法って効果が高いんだな、などとくだらない事を雪蔵は考えて
いた。その雪蔵の顔には無残にもシールに付けられた引っ掻き傷が痛々しく人々の目を引
いていた。
　捕まえた乳星人を一箇所に集めてみると、総計五十匹にもなった。それらを一人づつ後
ろ手に縛り、その紐を一つにまとめた。こうしておけば、通常通れる小さな穴も通れなく
なり、逃げる事は不可能であろうという判断で行なわれた。口ばかりはどうしようもなく、
本部に着くまで、小言の大合唱を聞かされる事になるのであるが…
　隊長はといえば、祐太郎がいたくお気に召したらしく、後ろ手に縛ったあと、堂の周り
に紐を括り付け一本づりのような形で本部に着くまでの間過ごす事となった。
　結局よはんは事の最後まで目を覚ます事はなかった。梨来は事が一段落すると、髪の毛
にこびり付いた臭いが気になりだしたらしく、塞ぎ込んでしまった。理由はそれだけでは
なかったであろうが…帰った後の上層部への報告、ゴンさんへの謝罪と愚痴を聞かなけれ
ばならないであろう未来を予想して暗くならずに居られる筈も無い。エーシャは祐太郎と
共謀して、寝ているシールの隣にメルディアスを寝かしておいて、目覚めた両者の反応を
楽しんだりしていた。ＴＡＭＡはあいも変わらず、淡々とした生活を送っていたし、雪蔵
は興味深げに乳星人の生態について検証していた。
　それぞれ好き勝手に時間を過ごしながら、本部まで後一日の距離にきていた。そしてそ
れぞれの思いを抱えて帰還する。無残な戦闘艦Ａｒｋに乗って…