１
　黒が果てしなく支配する宇宙を進む無残な姿をした一機の戦闘艦。下部中央には白い瘤
が出来ていて、この戦闘艦がこのような状態になった原因がこの瘤のせいである事はどん
な者が見ても理解出来る程である。
『ったくうお前らは・・・』
　戦闘艦Ａｒｋに装備されているシステムデスクのクリアスクリーンには、顔を煤や油で
汚した小柄な中年男性の顔が映し出されている。その男は怒りを表わすどころか呆れた様
子である。
「本当、すまない」
　一方、その男とは対称的に、手を合わせて一生懸命謝罪する二六、七の青年。少し色を
抜いた髪は肩にかかる程で外巻きレイヤーが入ったような感じだ。普段はおろされている
だろう髪も、今は前に垂れて来る分だけはきちんと縛られている。
『・・・まあ梨来がそんなに言うのなら・・・俺と梨来の仲だしな。後でたっぷりと愚痴
を聞いてもらうぞ。いいな』
「わかったよ、ゴンさん」
　梨来とゴンさん。この名前を聞いてピンと来るだろう。この戦闘艦Ａｒｋの整備し万全
な状態で仕事が出来るようにしてくれる整備士のトシ・カラルナ・権田。通称ゴンさんと
宇宙警察Ｐ．Ｇ．Ｌの暴れんぼうSpeaking　Dog、通称SpeaDの副司令官の牧村梨来であ
る。
　梨来がゴンさんに報告しなければならない事とは先回このSpeaDの一員になった芙蓉雪
蔵の初仕事になったコメニウスの乗組員を引き渡し、ユエに帰還しようとしていた時に起
きた乳星人の乗るパルメザン号の事件の事であった。
　SpeaDの司令官でありこの部隊の素であるよはんの無謀と言わんばかりの命令の結果、
Ａｒｋは戦闘艦という役割を失ってしまったのだ。
　その無謀な命令をしたよはんはというと・・・Ａｒｋがパルメザン号と接触した時、自
室のベッドで夢の中に沈んでいて、その時の衝撃でベッドから落ち、机の上に置いてあっ
た御自慢の小槌が頭の上に落下し、気を失ってしまった。そして今も、梨来以外誰もいな
いメインブリッジの冷たい床に横たわっている。
『もうすぐ着くだろうがくれぐれも気を付けて帰って来いよ。じゃあな』
「ありがとう。ゴンさん」
　梨来は被害状況の報告と共に、とりあえず戻るまでにゴンさんが上層部を言い包めてく
れるようお願いしていた。これが今の梨来に考えられる最高の逃げ道であった。それでな
くてもよはんが一つ返事ですんなり上層部へ報告しに行く訳がなく、ましてや他のメンバ
ーが行ってくれる事もない。そうなると、この中で一番上層部を嫌う梨来が報告に行く事
になってしまう。まあ何時もの事といえば終わってしまうが、今回程関わるのが嫌なのは
ない。Ｐ．Ｇ．Ｌの財産の五分の一を注ぎ込んで造られたＡｒｋを半壊させたという報告
なのだ、普通の報告よりも胃が痛い。だからゴンさんに報告をしつつ、相談したのだ。そ
れで初めのような呆れた言葉が零れるのである。
　さらに梨来には胃が痛くなる事がある。それは引き渡しの時から付きまとっているあの
生臭い匂いである。パルメザン号事件が済んでからというもの何度もシャワーを浴び、髪
を洗ったが落ちない。何だか人足魚類の様にしつこい。何とか髪を縛るという方法を思い
付いたがやはり微かに臭う。
　そんな臭いを思考から消そうと梨来のシステムデスクのちょうど後ろにあるよはんの座
席に深く座り込んだ。
「あーぁっ笑い過ぎて腹が痛いぜ」
　梨来の後方の扉が開いたと同時に男の声がした。そして何やらぞろぞろと人が入って来
る。梨来にはその声の主が誰かわかっていた。梨来よりかは年の若い二四、五の黒の短髪
青年。SpeaDの白兵指揮官の高野祐太郎である。
　祐太郎の手には紐で繋がれたお気に入りの乳星人の隊長・メルディアスの姿があった。
こいつ以下約五〇がこの事件の首謀者である。そんな祐太郎の後ろには作戦参謀をするエ
ーシャ・カルナーリ・フェイル・黒崎が半べそをかいた相棒のシールと共にやって来た。
続いてやって来たのは、まだ幼いという表現が似合う芙蓉雪蔵と黒い肌をし、頬に化粧を
施しているＴＡＭＡである。
「みんな、席に着いてくれ。大気圏に突入するぞ」
「おうよ。あーぁこれでようやく自分の部屋に戻れるぜ」
　祐太郎は背伸びをしながら大きなあくびをする。その衝撃が手に持っていたメルディア
スに伝わり悲鳴を上げる。
「こらーっわしがいる事を忘れるなーっ」
「あっ忘れてた。いつもこんな物は持っていないからな」
「じゃあ放せばいいじゃない」
「駄目ですぅ」
　目に溢れんばかりの涙をいっぱいため、シールは祐太郎に涙声で訴える。
「あっそういえばエーシャの足元に鉄篭があるだろう。そこに入れといてくれよ」
　祐太郎は手に持っていたメルディアスを放り投げエーシャに渡した。その瞬間シールは
エーシャの腕から離れ、一番安全そうな梨来の腕にしがみ付き、うにゃうにゃと泣き始め
た。
　その反対の席では雪蔵とＴＡＭＡが、乳星人が持っていた“チュウチュウキャノン”を
雪蔵の自室で分解しI�ﾇｙぢ人間サイズに作り替えた“チュウチュウキャノン”を二人して磨い
ている。
「何だ？それ」
　何か楽しそうだなと祐太郎は二人に近づいてその物体を見つめる。
「これは乳星人が持っていた“チュウチュウキャノン”をボクたちが使えるように改造し
たんですよ。名付けて“チュウチュウバズーカ”どうです？試してみますか？」
　試したいと言わんばかりの眼差しで見つめる祐太郎に、雪蔵が「どうぞ」とチュウチュ
ウバズーカを手渡した。
　そして何を思いたったのかそのバズーカの口を梨来に向けカウントダウンを始めた。
「５・・４・・３・・」
「おっおいっ祐・・・冗談はやめろよ・・・こらっ祐っっっ」
　梨来の声は物凄い爆音に消され、チュウチュウキャノンよりも眩い光と物凄い煙に包ま
れた。
「ゲホッゲホッッ。祐、何するんでちゅか。あっ何でちゅかこれは・・・言葉が変になっ
たでちゅ」
「ガハハッ思い知ったか！！」
　祐太郎は腰に手を当て、勝ち誇った様子で再び自分の席に着いた。
「ＴＡＭＡさん成功ですね」
「おう」
　この二人も何だか楽しそうである。
「このバズーカはちゃんとした言葉になるように「チュウ」ではなく「ちゅ」にしてみた
んですよ。しかも効果は五分間。言ってる事もちゃんと自覚出来るんです」
　チュウチュウバズーカについて話す雪蔵は子供のような自慢げな顔をしている。その姿
を見て梨来は怒る気も失せてしまった。
「造るのはいいでちゅけど、よはんにだけは渡してはいけないでちゅよ」
「はぁい」
　はぁと大きな溜め息を吐いて「もう喋るのをやめよ」と心の中で思った梨来であった。
　梨来がバズーカに撃たれてちょうど五分経った頃、Ａｒｋは大きな衝撃を受けた。それ
は大気圏に突入したという合図でもある。しかし本来なら、このような衝撃はほとんどし
ない。何故Ａｒｋが衝撃を受けたのか、それはＡｒｋの状態が一番の理由である。
　大きな衝撃に耐えながら、Ａｒｋは無事にＰ．Ｇ．Ｌ本部の海上に着いた。そしてゴン
さんの待つ地下五階のドックへと戻って行く。
「あーぁこりゃ酷いってもんじゃないな。報告以上だな梨来」
「そのようだ」
　Ａｒｋから降りて来た梨来たちを待っていたのはここの責任者のゴンさんだ。
　実際に外に出てＡｒｋの状態を見た梨来たちは苦笑いするばかりである。
「無茶って語彙がオレたちにはないのかよっていう感じの破壊だな」
「それがSpeaDだろ」
　いまさら何言ってんだよとＴＡＭＡは冷たくあしらう。いや冷たいというかこれが普通
のＴＡＭＡなのだ。
「あぁそういえば、お前に頼まれたあれ、しといたぞ」
「本当か？」
「何とかなりそうだ。礼はたんまりと頂くからな」
「白波の名月だろ。もう手配済みだよ。これから来ないか？お茶しに」
「そうよゴンさん。私がお菓子に合うお茶でもお入れしますよ」
「おっそうか？・・・まあ今日は仕事するつもりはないしな。おぉ梨来、後でいいもん持
ってってやる。じゃあ後でな」
　ゴンさんは白波の名月が食べられると鼻歌を歌いながら奥へと消えた。それを見届けた
梨来は「ゴンさんは単純でよかった」と思うのであった。
　そしてゴンさんを交え、お茶会が始まったのである。
「梨来、これ貸してやる」と手渡されたのはシャンプーとリンスだった。それを見て梨来
が変な顔をしていると「これで生臭さが消えるだろう」と付け加えた。
「サンキュー、ゴンさん」
　ようやく意味がわかった梨来は、メインルームに完備されているシャワールームへと足
を運んだ。
　梨来がシャワーを浴びている頃、ゴンさんの好物である白波の名月を食べ、エーシャの
入れたお茶を飲みながらわいわいと話が始まった。
「そうそう、ゴンさんってリクと付き合い長いんでしょ」
「・・・んあぁ。もうかれこれ六年か？梨来が入って来てからだから・・・」
「エーシャ、何聞こうとしてるんだ？」
「何って、リクの事よ。ほら、この前見たでしょ。リクがお父さんを見たときの顔。それ
と私たち以上に上層部が嫌いな所。ユウタロウも知りたくない？」
「あっオレも知りたい。凄い剣幕だったもんな」
「何だ。そんな事聞いてどうするんだ、お前たちは」
「どうもしませんわ」
「エーシャさん、怪しいですよ。痛っっ」
　「怪しくないわよ」と隣に座る雪蔵の頭の上にげんこつを落とす。
「・・・まあ、本人がいないから話してやってもよいがかなりきついぞ。いいな」
　うんと一同は首を縦に振ってみる。そんな姿を見たゴンさんは噴かずにはいられなかっ
た。
「それは・・・」



　　　２
　マテリア暦五七八五年六月六日、地球によく似ている青い惑星、ネオラシス系第一五惑
星テント・モール。テント・モール人の中でも日本人によく似たテント・モール人が多く
生活している第二母星マトリックスのジップ・テナ・シティ。そこで彼は牧村家の長男と
して生まれた。
　梨来の家は四人家族で、現在、父親の貴来は宇宙警察Ｐ．Ｇ．Ｌの銀河系本部司令官を
している。母親の結梨は普通に主婦として家族を支えている。そして姉の彩は梨来の先輩
である元SpeaD副司令官・原田凌と結婚し、海咲という子供もいる。
　その一家はごく普通の家庭と仲のよい家族、そんな言葉が似合う一家であった。
　マテリア暦五八〇一年、梨来が高校に入学した年の秋、同じクラスの永井成流という子
から告白された。いつもは何かと理由を付けて断っていた梨来だったが、この時は何かが
違っていた。少し考えた後、ＯＫを出したのだった。
　腰近くまである長い黒髪の成流は成績も優秀で学級長をしている。クラスの中でも一・
ニを争う程の人気があり、梨来もそんな成流を気にかけていたのは確かなのだが、成流が
梨来に目を付けていたとは意外である。
　梨来は梨来で、本人の気が付かない所で、校内トップ二〇に入る程人気があった。
　そんな二人が付き合い始める事になると校内中に二人の事が広まった。
「あちゃーこんな事になるとは・・・」
意外とこの二人はうまく付き合えている。その証拠に喧嘩は未だにしていない。
　学校の帰り、意外と近所に住んでいた成流と二人並んで家路を行く。
「ねえ梨来くん、明後日の日曜日、図書館に行かない？」
「図書館？」
「ほら、もうすぐ中間じゃない。一緒に勉強したいなって」
「でも俺は成流のように頭よくないから邪魔になるよ。俺のせいで成流の成績が下がるの
はごめんだ」
「梨来くん何言ってるの？邪魔にはならないでしょ。梨来くんだって出来る人なのに」
　成流は梨来の横でフフフと笑った。
「そこまで成流が言うのなら・・・行ってもいいけど。本当知らないぞ」
「ありがとう。じゃあ一〇時に図書館の前で」
「あっ俺・・・」
「お迎えはいいよ。私が誘ったんだから。じゃあまたね」
　一軒家が建ち並ぶ普通の住宅街、そこの一角で二人は別れる。そして梨来は更にまっす
ぐ東へと進む。
　成流の自宅から二〇分先に梨来の自宅はあった。
　薄い灰色の壁に黒い屋根の三階建、ここらへんではそう珍しくない家である。
「ただいまぁ」
　黒いドアを開くと一匹のラブラドール・レトリバーが梨来を出迎えた。
　ラブラドールは梨来の足元にやって来てその愛らしい目で見つめる。そして撫でてくれ
るのを待っていた。
「ルウただいま。おまえだけだないつも出迎えてくれるのは」
　ルウの前に屈んで、わさわさと頭を撫でてやった。それにルウは梨来の顔をペロッとな
めた。
「こらっルウ。くすぐったいって。ルウ、母さんはもう帰っているか？」
　梨来はルウに結梨の所在を聞く。そんな事犬に聞いてもと思うだろうが、ルウの場合は
違う。ワンッと一つ吠えると、リビングを抜け、庭に面した窓の前に立った。そこには庭
の手入れをする結梨の姿があったのである。
「母さんただいま」
「あらっ梨来。帰ってたの？」
「うん。今帰ったとこ。姉貴は？」
「彩なら自分の部屋で何かしてるわよ。彩に何か用でもあるの？」
「いいや。俺も部屋に行くから。飯になったら呼んで」
「はいはい」
　梨来はじゃあなとルウの頭を撫で、自分の部屋がある三階へと上がっていった。
　男の子としては真面目に教科書が入っているカバンをベッドの上に放り投げると、壁に
掛けてあったカレンダーに赤のマーカーで『一〇時図書館前』と書いた。
「これでよしっと」
　梨来は意外とマメである。成流が見込んだだけあるというのか・・・。
　そして日曜日。ジップ・Ｔ・シティ総合図書館前。一〇時の待ち合わせに一〇分早く梨
来は着いた。厚めの半袖パーカーに、中にはボーダーＴシャツを着て、濃い色のビンテー
ジ・ジーンズをはいている。肩からは今日勉強すると思われる教科書とノートが入った白
のリュックを掛けていた。制服を着た普段の梨来とは全く違う感じがする。
「迎えに行けばよかったかな」
　図書館が開く前にもかかわらず図書館の周りは人で群がっていた。
　ちょうど一〇時、その人込みの中からいつもとは違う成流の姿が梨来の目に映った。
　彼女は秋らしい茶色のロングスカートに、アンサンブルであろう同じ色のジャケットを
はおっていた。
「おはよう」
「おはよう梨来くん。制服とは違って大人っぽく見えるね」
「そうか？成流の方が大人っぽいと思うけど。さあ中に入るか」
　やっと中に入った二人は個室の様に仕切られた学習室の一つを見つけ、向かい合わせに
座った。
「梨来くんは何を持ってきた？」
「俺は英語。成流は？」
「数学。梨来くん得意でしょ」
　成流はニコニコとカバンの中から数学の教科書と問題集を取り出した。梨来も英語の教
科書を取り出す。
「俺たちって考えてる事、一緒だな」
「そうみたい」
　早速勉強開始。二人は黙々と勉強を始めたかと思うと・・・一人だけペンが進まない者
がいた。・・・梨来だ。
　シャープを持ったまま肘をついている梨来は、ぼんやりと成流の方を見ている。そんな
梨来の視線も気に留めず、成流は黙々と数学の問題集を解いていた。
　梨来はこの状態を始めて、一〇分程時間が経過した。
　ようやく意識が戻った梨来は、教科書に書いてあった英単語をノートに書き始めた。
「ねえ梨来くん。ちょっといい？」
「ん？」
「どうしても答えが合わないの・・・ちょっと教えて」
「あぁ。えっと・・・等式の証明だったっけ？これか？」
「そう。どうしても出ないのよね・・・答え。何故かしら」
「えっこれか？」
　梨来は教科書を見てハハハと笑った。そんな梨来の姿に成流は首を傾げた。
「何故おかしいの？」
「何でってこれ成流でも出来るやつだよ」
「あーっひどい。私だって苦手なものあるもん。梨来くんだって英語苦手なくせに」
　まだケラケラ笑う梨来とは対照的に成流はぷくっと頬を膨らませた。
「ごめんごめん。そうだよな、成流にも苦手なものがあってもいいよな」
　梨来は笑いすぎて零れた涙を拭うと、その問題をノートに書いた。
「これは両辺が同じである事を証明したいんだから、まず、左辺を計算すると・・・この
ようになるんだ」
　問題の書かれているすぐ下に梨来がスラスラと問題を解いて見せた。それを成流は真剣
な眼差しで見つめる。
「左辺の答えが出たら、今度は右辺を計算すると」
「あっ一緒の答えになった」
「だろ。そしてこれが一緒になったからこの式は成立するという訳だ。成流、この問題解
いたノート見せてくれるか？」
「いいよ」
　淡いブルーの表紙に数学Ａ問題集と書かれたノートを梨来に渡す。それに目を通した梨
来は一人納得をし、ノートを成流に返した。
「成流、わかってるじゃん。これ全部計算ミスだよ」
「えっ本当？」
「あぁ。公式忘れか計算ミスってところだよ。成流がわからない問題が俺なんかに解ける
わけないだろ」
「わからなかったのは本当だよ」
「わかってるよ」
　途中に昼食をはさんで、二人のマイペースな時間は過ぎた。空が黒く染まり始めた頃、
ようやく今日やっておく分は終わらせた。
「暗くなっちゃったね」
「帰りは送るよ。自転車だし」
　梨来はカバンから自転車の鍵を出し、すぐ近くに止めてあった自転車を出した。そして
成流のカバンをかごに入れ、成流に座るよう合図した。
「お尻痛くないか？」
「ちょっと痛いけど、平気。今度からは座布団でも持ってこようかな」
「出発するぞ。いいか？」
「うん」
　成流は横向きに座り、梨来の腰に腕を回した。成流を乗せた自転車はゆっくりと進み始
めた。
　少し肌寒い秋の夕方の風に吹かれながら、梨来と成流の二人はジップ・Ｔ・シティのメ
インストリートを自転車で走り抜け、帰途についた。