３
　梨来と成流が付き合い始めて二年と半年程過ぎたマテリア暦五八〇四年四月、梨来はテ
ント・モールの最高峰、テント．モール ．フリー．ユニバーシティ、特殊情報学部システ
ム学科システム・アナリストコースに入学した。Ｔ．Ｍ．Ｆ．Ｕは入学するのが大変な大
学で、高校を卒業した者で、超難問の入学テストに合格しさらに別の日に専門知識に関す
る入科テストを受けた上、合格した者が入る事が出来る。入学するのは難しいが、卒業す
るのは簡単である。最低二年在学すれば卒業する事も出来るし、さらに何年も在学出来る
という訳だ。もちろん卒論なんてものはない。それがフリー・ユニバーシティの良いとこ
ろである。
一方成流は、Ｔ．Ｍ．Ｆ．Ｕの分校、テント・モール・ユニバーシティの宇宙総合学部古
代文化学科地球文化コースに入学した。こちらのＴ．Ｍ．ＵはＴ．Ｍ．Ｆ．Ｕよりも簡単
に入れるが、四年在学し、卒論もバッチリある。言わば普通の四年制大学である。しかも
一年間は専攻した地域の提携校に留学しなければならない。
　別々の大学に入学した梨来と成流はバイトがない日のみほぼ毎日会うようにしている。
　アイズ・ブリックにあるＴ．Ｍ．Ｆ．Ｕからジップ・ナサ・シティのＴ．Ｍ．Ｕまでそ
の道のりは九五Ｋｍで約一時間三〇分かかる。そこを愛車COPE‐REX4というバイクで行
き来する。帰宅途中で寄るからまだ助かっている。なんせ、ジップ・Ｔ・シティとジップ
・Ｎ・シティは隣町なのだ。
「どう？大学は」
「あぁ楽しいよ。いろんな事教えてくれるし」
「大学には何年いるつもり？」
「二年。Ｐ．Ｇ．Ｌに入りたいからな」
「お父さんの後を追うの？」
「いや。俺はシステム・アナリストとして入るんだ。あそこのLeap. Systemsっていう部
隊がシステム関係では最高ランクが付いているんだ。そこで俺の力がどれくらい通用する
のか試してみたいんだ。Ｐ．Ｇ．Ｌは難関って言われてる入隊テストがあるから早めにチ
ャレンジしようと思ってさ」
「そうなんだ。梨来くんなら大丈夫よね。Ｔ．Ｍ．フリー．ユニバーシティにも入ったん
だから」
「成流はどうするんだ？地球へ一年間留学するんだろ？」
「うん。梨来くんがＰ．Ｇ．Ｌ受けるのなら二年になったら一年間行こうかなって。受検
勉強の邪魔はしたくないから」
「そうか。淋しいな。一年も会えないと」
「何言ってるの？一年なんてあっという間だよ。ねっそんな顔しないで」
　淋しそうな顔をする梨来の顔にそっと自分の手を持っていき、梨来の頬を軽くつまんで
横に引っ張った。
「フフフ。面白い顔」
「なっっっ何だよ。コラッ成流っ」
　梨来のバイクの周りを二人は追いかけっこをする。左へ行ったり右へ行ったり。ようや
く成流を捕まえた頃には二人はくたくたになっていた。
「・・・ふう。もう帰るか。暗くなってきたし」
「そうね」
　梨来と成流は立ち上がり、ズボンの砂を払った。そして梨来のバイクに置いてあったヘ
ルメットを着け、バイクに跨った。そして成流は自分の腕を梨来の腰に回してしっかりと
掴まる。
　「いいか？」という梨来の呼びかけに頷くと、バイクは発進した。
　成流の大学であるＴ．Ｍ．ユニバーシティの正門を横切って都心環状線をひた走る。都
心環状線を途中で出るとジップ・Ｔ・シティの端の街、トワイライト・ジールに着く。こ
こは梨来たちの住んでいるウィンティスに比べると静かな田舎である。そこのメインスト
リートを抜け、さらに次の街を抜けると、街らしい建物が見えてくる。そこを五分程走る
とジップ・Ｔ・シティのシティ・オフィスが見えてくる。これが見えるとあと一五分程で
ウィンティスの駅に着く。ここまで約四〇分。そこから一〇分で成流の家に着く。
「着いたぞ。成流、明日はバイトだよな」
「うん。明後日は梨来くんがバイトでしょ。じゃあ土曜日に。梨来くん授業あるよね」
「あぁ昼まで」
「じゃあ一緒にお昼食べよ。学校の近くにおいしい洋食屋さん見つけたの」
「わかった。いつものように正門で待ってる。じゃあな」
「じゃあね」
　再びヘルメットを被った梨来は、成流に手を振りバイクを走らせた。さらに一〇分程た
った頃、自宅に到着。
　車庫の前にバイクを止めた梨来は、家の前に止まっていたバイクに目がいった。
「Clime・Lodsの新車だ。ということは凌さんだ」
　梨来はバイクを適当に置いて、急いで玄関を開ける。そこにはいつものようにラブラド
ール・レトリバーのルウが待っている。
「ただいまルウ。凌さんまだいるか？」
　梨来の問いかけに「ワン！」と吠えると、梨来の後をついて走る。
　玄関から一直線上にあるリビングでは父・貴来と彩と凌が笑顔で話している。テーブル
の上には住宅情報誌や結婚情報誌が開けてある。どうやら彩と凌は結婚するようである。
そんなところに梨来が入ってきた。
「ただいまっ」
「あらっ梨来おかえり」
「おかえり梨来」
「こんにちは梨来くん。お邪魔してます」
「凌さん、こんにちは。あれっ？姉貴たち結婚するの？おめでとう。で、何時式挙げるの
？」
「六月よ。ジューンブライド」
「でも式場予約ってもっと前にしなくちゃいけないんだろ」
「そうよ。でも大丈夫。だって凌くんのお兄さんが教会の牧師さんだもの」
「そうなんだ。じゃあ話はもう終わってるよね。凌さん借りていってもいいか？」
「いいよ。でもレンタル料高いわよ。それにしてもまたどうしてよ」
「相談したい事があるんだ。凌さん、時間あるよね」
「あぁあるよ」
　梨来と凌はルウと共に三階の梨来の部屋へと上がって行った。
　梨来の部屋は、三階の南東にある。中はモノトーンで統一されており、男の子にしては
片付いている。その部屋の中央にあるテーブルの前に座って話を始めた。
「梨来くん相談ってなんだい」
「あの・・・俺、Ｐ．Ｇ．Ｌに入ろうかと思ってるんですよ。でも、何を勉強したらいい
かわからなくて。Ｐ．Ｇ．Ｌにいる凌さんに相談するのがいいかなって」
　梨来の言うように凌はＰ．Ｇ．Ｌにいる。現在は、銀河系第四部隊の特殊任務を任され
ている二三歳の男だ。彩とは幼馴染みで、純粋なテント・モール人である。
　そんな凌を梨来は慕っていた。小さな頃から可愛がってもらっていたせいか、姉しかい
なかったせいか自分の兄貴のような感覚がある。実際六月で梨来の義理の兄になるのだか
らそんな感覚はさらに膨れていく。
「お父さんに相談したの？」
「した。けど・・頑張れってだけ。俺もそうは聞かなかった。コネで入ったと思われるの
嫌だし」
「そうか。お父さんの後を追って入る訳じゃないからね。よし、今度問題集とか持ってく
るよ」
「お願いします。あっ凌さん、バイク変えたよね。Clime・Lodsの新車。やっぱり他のよ
りいいんですか？」
「あれ？梨来くんのは何だっけ？」
「俺はCOPE‐REX4。昨年出たＸ４をヴァージョン・アップさせたものですよ」
「COPEかぁ。COPEもなかなか好きだよ。オレも」
　二人が盛り上がっている話は、自分の持っているバイクの話である。Clime・LodsもCO
PEもテント・モールでは有名どころのバイクメーカーである。特にClime・Lodsという会
社のバイクはテント・モールにおいて一番の販売実績を誇っている。そして一般販売の他
に特注バイクを製造している。またCOPEは、Clime・Lodsに次ぐバイクメーカーで、一年
毎に出る新車に合わせてCOPEの前年度のバイクを格安でアップグレードしてくれる。梨来
のREX4もそうだ。前年度発売になったＸ４を今年発売のREX4に先駆けてアップグレード
してもらい、REX4となった。何だかパソコンのようであるが、COPEを愛用する者にとっ
てアップグレードは何よりも嬉しい事で不思議な事ではないのだ。
「俺、Clime・Lodsで作ってもらおうかなって思ってるんですよ」
「それならＰ．Ｇ．Ｌに入ってからだね。Ｐ．Ｇ．Ｌを通して買うと安いんだ。だから頑
張ってくれよ。応援してるから」
「ありがとうございます」
　凌が部屋を出て行くと、先程以上に考え始めた。
　数日後、凌から問題集などもらった梨来は、寝るのも惜しんで勉強を始めた。それと共
に成流の留学へのカウントダウンも始まった。
「成流、準備はもういいか？」
「うん。ありがとう」
　成流の荷物整理の為、成流の家に梨来はいた。本日成流の両親は不在の為、梨来が手伝
いをする事になったのだ。
「何時だった？発つのは」
「明後日の朝一〇時。現地までは五日程かかるの」
「地球の何処だ？」
「日本。京都のお寺に住まわせてもらう事になってるの」
「へえ。寺かぁ」
　成流が取り出した京都の本を見ながら梨来は興味を示した。
「明後日は、宇宙ステーションまで送るな。八時に来るよ」
「うん。ありがとう」
　梨来はバイクのエンジンをかけ、成流の家から走り去った。

　そこから二時間と二〇分。梨来はアイズ・ブリックにいた。アイズ・ブリックといえば
梨来の大学、Ｔ．Ｍ．フリー．ユニバーシティがある所である。広大な土地に立てられた
この大学は、日本の名古屋で言えばナゴヤドームの約一五コ分。Ｐ．Ｇ．Ｌ本部の敷地面
積とほぼ同じ大きさである。そんな大学の私道をバイクで走り抜け、正門から一番遠いシ
ステム学科の校舎、Ｓ号館の前につき、バイクを止めた。
　被っていたヘルメットをバイクの上に置いて、エレベーターで五階へと上がって行く。
そこには梨来が所属するゼミの研究室がある。ネームプレートには『グロー・浅村ゼミ研
究室』と書いてある。そのドアをノックし、中に入った。
「失礼します」
　中では教授がパソコンと睨めっこしていた。
「浅村先生」
「あぁ牧村。持って来てくれたか？」
　パソコンの陰から顔を出したグローは梨来とは感じが違う。梨来よりも背は小柄で、細
身の男である。テント・モール人ではないと思われる浅緑の瞳が梨来の顔を映している。
彼は、ネオラシス系第一六惑星クリア・ルーズのプレサル人で、一〇年前からこの大学の
教授をしている、現在三七歳の男である。
「まだ見学には行ってないんですけど、要項は持ってきました」
「そうか。もう勉強は始めてるんだろ」
「はい」
　何やら意味ありげな会話が繰り広げられている。そう、今日はＰ．Ｇ．Ｌの入隊テスト
についてグローと話をしに来たのだ。
「もちろんシステム・アナリストとして入るんだろ。ここに入ったからには」
「はい」
「ということは、二年で卒業だな。すると・・・四月から特別カリキュラムを組まないと
な」
「特別カリキュラム？」
「そうだ。二年位に一人は、Ｐ．Ｇ．Ｌに行きたがる奴がいるんだ。それで、経験者の俺
が特別カリキュラムを組んで教える訳だ」
　実はグローも、教授になる前にＰ．Ｇ．Ｌのもうひとつのシステム部隊であるCom.　
Progriseに所属していた。しかし、自分の求めていたものとは全く違っていた為に四年で
辞めてしまったのだ。それから母校であるここで、教授として働いている。
「牧村の環境はルプアだったか？」
「はい。全てルプアで揃えてあります」
「ＬＳは全てＨＡＬのシステムだ。一度でも触った事があるなら基礎的なカリキュラムを
外すけど」
「昔に二・三度触っただけです」
「昔かぁ・・・少しだけ入れとくか。思い出せるように。よし、わかった。ご苦労さん」
「失礼します」
　梨来はグローに一礼すると、研究室から出て、寄り道もせず来た道をひた走る。これで
梨来のＰ．Ｇ．Ｌ受験は、本格的に始まったのだ。
　そして四月。成流を無事地球へと見送り一ヶ月が過ぎた。梨来の受験勉強は順調に進ん
でいる。成流とはＥ‐メールでちょこちょこと遣り取りをしている。そして特別カリキュ
ラムも始まった。グローと梨来の一対一の講義。空き時間を見つけては研究室で教えても
らっている。システム管理、ハッキングの基礎、宇宙警察法、システム・アナリスト応用
など。もちろん一般教養もある。それを休むことなく頑張る梨来。普通の学生よりも忙し
い。その為か、成流がいない事も別に気にならない。むしろ留学してくれてありがたいと
思っている。疲れきった自分を見られなくて済むからだ。
　そんな梨来に春が来るのは半年以上も先の事である。
　　　４
　マテリア暦５８０６年の春。Ｔ．Ｍ．フリー．ユニバーシティのシステム科を卒業し、
無事入隊テストに合格した梨来は、父親と同じ宇宙警察Ｐ．Ｇ．ＬのLeap. Systemsにシ
ステム・アナリストとして入隊した。そして自宅を離れ単身でこの第一二惑星ユエにやっ
てきた。別に父親がいるからとかではなく、システム関係の部隊の技術ランクが最高ラン
クに上げられているこの部隊で自分の力というものを試してみたかったというのが本音だ。
「牧村梨来です。よろしくお願いします」
　今年、梨来と同じ考えをもった新入隊員は、梨来を含め四人いた。
　このＰ．Ｇ．Ｌの平部隊以外に入隊するものは、超難関といわれている入隊テストを受
けなくてはならない。毎年二千や三千もの入隊希望者が試験を受けに来るが、合格する者
はほんのごくわずかである。その為、金を積んでまで入隊する者がいた。梨来も貴来の息
子という事で、梨来を見る隊員たちの目が冷たかった。
「おまえもコネで入ったんだろう」
「親が銀河系本部司令官だからひとつ返事では入れたんだろう」
　どの隊員と話すのにもそんな言葉で括られてしまうのだ。
　しかし、梨来はそんな言葉に慣れていた。いや、慣れてしまった。俺は俺だ。親父なん
かと同じじゃない。それが梨来の考えだった。こいつらなんかにわかってもらう必要はな
い。自分をずっと見てきてくれた親や兄弟、そして成流だけが自分がどれだけ頑張ってき
たのかわかっていてくれればいいとさえ思っていたのだから。
　だから、すれ違ったまま離れ離れになっている成流とのＥ‐メールだけが今の梨来にと
って心の捌け口になり始めるのは数日後の事である。
　Ｐ．Ｇ．Ｌ本部に所属しているLeap. SystemsはSpeaDと同じく本部内に寮があった。
まだ一人暮らしが出来る程の予算が出来ない梨来は、ここの寮に入っている。その部屋の
パソコンに一通のメールが届いた事を示すランプがついていた。
　差出人は成流だった。
『ただいま。今地球からウィンティスの自宅に着きました。すれ違いで梨来くんがユエに
行ってしまったので会えないけど。・・・どう？仕事には慣れた？梨来くんの事だからみ
んなと仲良くやってるんだろうけど・・・もしかして一匹狼なんてなってないでしょうね
（笑）。今度の休みにユエへ遊びに行こうかと思っています。では。成流』
「あちちっっっ」
　仕事から戻って一息つこうと入れたコーヒーを飲みながら、見ていたメールの内容につ
い焦って唇を火傷した。
「見抜かれてる。話してもいないのに・・・」
　そうは思っても成流に心配かけまいと、元気であるというメールを送る。
「今度の休みか・・・何処行くかな」
　もう梨来の頭は、成流と会う事で一杯になっていた。
　そしてその当日。
　前日にユエへやってきた成流は、梨来に言われた通りユエにいる梨来の姉、彩の家へと
やって来た。結婚して数ヵ月後SpeaDに左遷された凌とこのユエのギルシックに来た。
「あっ成流ちゃんじゃない。さあ、上がって」
「お邪魔します」
　成流を本当の妹だと思い始めている彩は、久し振りに遊びにやって来た妹のように迎え
入れた。
「今日はどうしたの？もしかして梨来と喧嘩した？」
「いいえ違いますよ。今日は梨来くんの所に遊びに来たんですよ。でもあそこは寮だから
ここで待ち合わせしようって事になって。梨来くんからは連絡はなかったんですか？」
「ないわよ。でもいいわね若いって」
「え？彩さんもまだ若いですよ」
「若くっても結婚したら年取ったって思うのよ。成流ちゃんは梨来と結婚したいって思っ
てるの？」
「あっ彩さんっ。何て事を・・・」
　突然の彩の質問に顔を赤らめてしまった成流。と、そこにバイクでやって来た梨来が入
って来た。
「こんにちはーっ姉貴いるかぁ」
「いるわよ。そっちこそ何よ。連絡の一つもよこさないで勝手に待ち合わせ場所にして」
「えっ？俺、連絡入れたよ」
「いつ？」
「二・三日前。凌さんに言付けてもらうようにしたけど」
「はあ？聞いてないわよ」
「凌さんが忘れる訳ないよ。姉貴の事だから上辺の返事でわかったつもりでいたんだろう
けど。あっ成流。もう来てたんだ。・・・どうした？顔真っ赤にして」
「ううん。何でもない」
　梨来に何かを隠そうとわたわたと慌てる成流はさらに顔を赤くした。
「何でもないならいいよ。じゃあ行こうか」
　彩に見送られて二人は、ギルシックからティアレスまでバイクで移動する。そこまで約
一時間。
　ティアレスはユエ一番の大きな街である。日本で言えば東京、アメリカだとニューヨー
ク、そんな街である。しかもその中心部は海に近く、港町もちらほらと見うけられる。そ
の一角にＰ．Ｇ．Ｌの本部が建てられている．本日は、Ｐ．Ｇ．Ｌ本部から見て右の地域
にある『アメイル・ランド』という大型テーマパークに行く事にした。このテーマパーク
は、半分がクレル・ランドという遊園地で、もう半分が大型専門店の入ったアズ・フリッ
ツ・パークというマーケットで構成されている。
「うわぁすごい大きさね」
「どうする？買い物がいいか遊園地がいいか。成流の行きたい所に連れて行ってやる」
「うーん。両方」
「じゃあ、まず遊ぶか」
「うん」
　梨来と成流は腕を組んでクレル・ランドに入っていった。
　今日は休日という事もあり、アメイル・ランドは人で一杯である。特にクレル・ランド
は家族連れの長蛇の列が出来ている。梨来と成流はその列に並び、入園出来るまで待つ事
にした。約一時間ほど時は過ぎた。ようやく二人は中に入る事が出来た。しかし、アトラ
クションに乗るのにも二十分待ちなどで、そう数を乗る事が出来なかった。
　続いてアズ・フリッツ・パークに行き、軽く昼食を取り、中の店を見て回る。
「わぁすごい数。梨来くんはここで洋服を買うの？」
「あぁ。たくさんの種類があるし選べるから。衣替えの時期に来ると数がもっと多いらし
い。成流、何かほしいものあったら言えよ。買ってやるから」
「うん。ありがとう」
　成流は梨来に対してわがままを言うような子ではない。下手をすれば梨来の為に何かを
してくれるような子だ。だから今日も、梨来が買ってくれた指輪と同じ物を梨来に買って
あげた。梨来は成流の行為を断り、気持ちだけでいいと言ったものの、「今日のお礼」と
言われて梨来は素直に受け取る事にした。そんな二人が彩の家に戻って来たのは一〇時過
ぎていた。
　成流は、彩の家に一泊し、翌日にはマトリックスへと帰っていく。梨来は明日も仕事が
ある為、寮に戻らなければならない。
　その別れ際、成流の口から意外な言葉が出てきた。
「梨来くん、仕事うまくいってないでしょ。やっぱり一匹狼なのね。つらい事があったら
隠さずに言ってよ」
「あっ・・・うん。でも何故わかった？」
「だって梨来くんの腕、細くなったもん。全体的に細くなったようだし」
「・・・隠せないな。おれ、５ｋｇ近くやせた」
「私や彩さんたちがいるから大丈夫よ。じゃあまた連絡するね。おやすみ」
「おやすみ」
　梨来は再びバイクを走らせ、寮へと急ぐ。そして寮に着くとすぐ、成流の元にやせた理
由のメールを書いて送っておいた。成流が帰宅した後に読めるようにと。書き終えるとそ
のままベッドにもぐり込んだ。
　翌日からもやはり梨来は一人だった。どうもまだ誤解されている。その為か仕事という
仕事をやらせてもらえない。させてもらっても書類をホチキスで閉じて、ＭＯと一緒にし
て書類棚にしまう事だけである。同期の仲間たちはすでに大きな仕事を任されているが、
梨来は半年以上も書類整理に明け暮れた。その時である。
　いつものように書類整理をしていた梨来に司令官が指令を出した。
「おい牧村、ここの会社の取引リストをハッキングしてくれ」
「あっはい」
　始めてもらった仕事らしい仕事。梨来は自分のパソコンを起動し、関連システムを始動
させた。そして指定された会社のプログラムにアクセスし、内容を取り出した。そこには、
様々な会社名が挙がっている。その一つに気になる社名が。「Prive. G. Logic　Leap. 
Systems本部司令官サナダ・レニール」と書いてある。
「えっここ？」
　梨来は一瞬目を疑った。そして、司令官から渡された書類に目を通してみた。すると、
削除項目に彼の名が挙がっていた。またすぐ上には、I�ﾇ☆ぢ一〇月某日、強制捜査に踏み切る
為、以下の者を削除せよI�ﾇ�:ぢと書いてある。
I(I"これ、証拠隠滅じゃないかI�ﾇ�:�ﾈ
　思わず口にしそうだったが、そこは抑えた。
　梨来は数日前のことを思い出していた。確かテレビのニュースでこの会社が税金をごま
かし、そのお金を裏にまわしていたと聞いた。それで警察が強制捜査に踏み切ると。
「これは許せん。こんな事させてたまるか」
　心の中で様々な考えをし、出した答えはやらない。やったふりして終わる事だ。そう決
めた梨来は、彼の名前だけ残して仕事とを終えた。
　後日、ものすごい形相の司令官が梨来を呼びつけた。
「牧村っ何て事してくれた。お前のせいでサナダ氏は、辞職に追い込まれたんだぞ！」
「そんな事がＬＳの仕事なんですか？俺はそんな事をする為に来たんじゃない。書類整理
をする為に来たんじゃない。人の為に、悪いものを潰せる技術力を得る為にＬＳ部隊に入
ったんです。何であんな事しなければならないんですか？」
　梨来の中に今まで溜まっていた物が全て吐き出される。それに司令官は驚いて何も言え
なくなった。
「牧村・・・。お前の技術力はここにいる誰よりも上だ。しかし、新人に抜かれるのは好
んでいないのだ。特に牧村司令官の息子となればだ」
　父親の名前を出されてむすっとなる梨来に司令官は続けて言った。
「何をしようともお前への処分は四月までに出される。いいな」
　司令官は満足したのか梨来を残し去って行った。
「ちくしょう」
　そして三月、梨来の元に一通の手紙が届いた。Ｐ．Ｇ．Ｌ人事委員会からである。
『Leap. Systems　システム・アナリスト　牧村梨来殿
　　　Prive. G. Logic人事委員会での審議の結果、Speaking　Dogの所属とす。
　　　後日、Speaking　Dog副司令官より通達がある。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　以上。』
　Speaking　Dog、通称SpeaD。巷では上司に逆らった者が送られる場所と言われている
が、人材的にはどの部隊よりも優れた者が配属される。梨来はそこの配属になった。もち
ろん梨来の義兄・凌もまだここに在籍している。そしてその一年前には以後梨来と長い付
き合いになるよはんが配属されている。
「SpeaDかぁ。またよく似たもんだろう」
　梨来の心の中はどの部隊に入っても根本は一緒だろうと、副司令官からの連絡を待った。
　マテリア暦五八〇七年四月、Ｐ．Ｇ．Ｌ本部一五階。
　一六階から二〇階のLeap. Systemsに比べ、静かなフロアーを梨来より背の低いSpeaD
副司令官と共に歩いてゆく。SpeaDの指令部はエレベーターホールからちょうど中央に位
置していて、さらに奥へ進むと寮になっている。
「ここが私たちのメインルームだ。どうぞ」
　そう言われ通された部屋の内部には、SpeaDのメンバーが一列に並んでいる。その中に
は凌の姿も確認できる。その前に立った梨来は深々と頭を下げて自己紹介をした。
「Leap. Systemsから移動になったシステム・アナリストの牧村梨来です。よろしくお願
いします」
「こちらこそよろしく。じゃあ、今から仕事に関する事を話そう」
「仕事ですか？・・・やらせてもらえるんですか？」
「そうだ。何とぼけた事を言ってるんだ。何しにここに来るつもりだ」
　梨来の変な質問にSpeaDメンバーは皆変な顔をした。しかし梨来はほっとした様で、ふ
うと息を吐き出した。
　現在SpeaDのメンバーは六人。梨来を含め七人になるが、近々メンバーの一人がSpeaD
を辞めるそうで、その空いた席を埋めろように梨来がシステム・キーパーを任されること
になった。現在だと雪蔵がこの仕事に就いている。システム・キーパーとは、SpeaDの使
用する戦闘艦Ａｒｋを動かすシステムを起動し、常に監視し、敵に注意を払う仕事で、
SpeaDにとって重要な仕事だ。だから梨来が一つ間違うと身の危険は免れない。そんな仕
事だ。
　これだけの大きな仕事にありつけた梨来はやる気満々だ。それだけＬＳで意味のない仕
事に就いていたかわかる。
　ほかに気づいたことがあった。誰でも対等に扱ってくれる事だ。以前までは父親の名前
が付きまとっていたが、ここでは誰一人として父の名を挙げない。凌がいるからとかでは
なく、ここにいる者たちは、そのようなことを気にしない奴らだったのだ。そんな奴らで
なければここに送られる事はないのだ。根本は、上司に反抗して、その上有能な人物が集
められているので、余分な事を聞かないのがここのルールになっていたのだ。
　そんな梨来も数日経たぬうちにこの中に打ち解けている。少々個性が強い者の為、内部
衝突は日常茶飯事であるが、お互いを認めているからこそ、できる喧嘩なのである。特に
よはんは性格が特殊だ。今までからも判るように、突拍子もない指令をしたりする。元
SpeaD本部司令官だった時に比べ、司令官に就いたよはんは弾け過ぎている。そして人一
倍喚き散らし、泣き、駄々をこねる所は頑固な子供の様である。これでも５２歳の素敵な
おじさんの筈なのだが・・・。
　そんなよはんを梨来は一歩引いた所から見ていたが、やはり慣れは怖いものである。一
ヶ月も一緒にいればどこにいても奴の気配を感じられるほどになってしまうのである。

　SpeaDに入って数ヶ月、梨来は寮から、彩の住むギルシックに隣接するフェイト・ウェ
イズという街に引越しをした。
　また突然このような行動に出たのか、それには一つの決心からであった。
　六月六日、梨来の二二歳の誕生日。この日は、梨来の家で成流と過ごす日だった。
　朝に着いた成流はその足で夜の為の買い物に出かけ、せっせと準備をする。
「Happy Birthday，Dear梨来〜♪Happy Birthday To You〜♪おめでとう梨来くん。
私からのプレゼントは・・・」
　成流の言葉にかぶるように呼び鈴が鳴った。
「はい。これ」
　成流が梨来の目の前に差し出したのは犬だった。まだ幼く、甘えんぼなゴールデン・レ
トリバーだ。
「犬？おうっくすぐったいな」
　梨来に渡された犬は、尾を振って喜び、梨来の顔を舐める。
「一人じゃ淋しいでしょ。だから」
「ありがとう。そうだ、名前は何にしようか・・・うん・・・そういえばルウに似てるな。
ル・・ルピュにしよう。よろしくなルピュ」
　ルピュはまるでよろしくというようにワンと吠えた。ここから梨来とルピュの二人の日
々が始まるのである。
「そうだ成流。ちょっと話があるんだけど・・・」
「何？」
　ルピュを抱えて座っている梨来は、体制を整えて、前に座る成流に話しかけた。
「大学出たらどうするんだ？」
「うん・・・まだ決まってないけど。どうしたの？」
「成流は俺にとって大切な人だ」
「なあに？いきなり変なこと言って。・・・私にも梨来くんは大切な人よ」
　成流の言葉を聞いた梨来は唇をぐっと噛んで成流の目を見た。そして勇気を振り絞って
口を開いた。
「大学卒業したら・・・結婚しよう」
「えっ？」
　梨来の口から突然発せられた言葉に一瞬自分の耳を疑った成流であったが、もしその言
葉が本当なら自分もいつかはと思っていた事なので断る理由もない。それよりこのまま梨
来と結婚できなかったらと考えるだけで怖くなってしまうのだ。
　一方、梨来は梨来でかなりの決心である。SpeaDに入ってからというもの心身ともに昔
に戻り、精神的にも成流と過ごしていけると思ったのだろう。また、SpeaDに入ったとた
ん、手元に入る給与がぐんと上がったのもあるのだ。安定した暮らしをする為には今しか
ないという考えからだ。その初めとしてまず、家を探す事にした。ティアレスで探したの
だが、治安がよくないという事から却下された。梨来がいろいろ探した結果、フェイト・
ウェイズという街を見つけた。ここなら彩の住むギルシックに近く、梨来がバイクでティ
アレスに通うのも都合がよい。そして何よりも治安がよい。そんな街である。
「すぐ答えを出さなくても、ゆっくり考えてくれればいいから」
「考えるまでもないわよ。私も同じ考えだもの。即ＯＫよ」
　その成流の言葉にほっとした梨来。その喜びがルピュにも伝わったのか、梨来をじっと
見つめてワンワンと吠えた。
　後日、休みをもらった梨来は、成流と共にお互いの両親に挨拶に行った。二人の両親は
梨来と成流を祝福し、来年の結婚式に向け、着実に準備が進められた。
　しかし梨来と成流は、小さな幸せですら手に入れる事は出来なかった。
　それは結婚式まで残りあと一ヶ月を切った頃に起きた。
『成流ごめん。帰れそうにないんだ。俺の代わりに行ってきてくれるか？不安なら姉貴が
帰ってると思うから付いて行くように連絡するけど』
「大丈夫。気をつけてね」
　SpeaD出動要請が出た梨来からの電話で、成流が最終打ち合わせに行く事になった。
　打ち合わせ当日。式場の一室で、担当の女性と話を詰めていく。披露宴の時の食事に関
する事や、引き出物の中身と数の確認、指輪の確認などを長時にわたって話し、決定させ
ていく。本当ならこのような頭の痛くなるような話は成流に行かせたくないと思っている
梨来であった。しかし、今日はそうも言ってられなかった。式場に行く日を変更出来なか
っただけでなく、SpeaDの出動要請となればＡｒｋを動かす根本となる梨来は外せない。
そんな間で梨来の心の葛藤は起こった。結果、成流に行ってもらう事になるのだが、これ
が一つ目の間違いだった。
　しかし、それだけではなかったのだ。
　最終打ち合わせの済んだ成流は、買い物をして帰ろうとバスではなく、歩いて帰る事に
したのだった。しかし、この日だけはいつものメインストリートが通行不可能になってい
たのでもう一本の大通りを帰る事にした。ウィンティスのもう一つのメインストリートで
ある。
　成流はそのメインストリートへと方向を変え、人ごみの中へと紛れ込んでいく。ここは
休日でもないのに行き交う人でごった返している。そのような中、成流の後方がざわめき
出した。所々では叫び声が聞こえてくる。そんな変な様子の街中で、成流は後ろを振り返
った。
　はっきりとは見えないが、なんだか様子のおかしい男が走って来ているようだ。そして
その後ろからは制服を着た何人かの追う人。人を掻き分けながら走って来ているのか、強
引に人を押しよけているのか、人々の叫び声が大きくなる。
　正確な判断も出来ずに気にせず歩く事にした成流。その時だった。
　一人泣き叫ぶ女性の声で成流は振り返った。するとそこには男性が横たわっている。そ
の男性に気を取られて成流は走って来る男が目に入っていなかった。
「避けて！」
　後ろから追っていた男性に声をかけられてふと我に戻ったが、もう遅かった。男の右手
に構えられていたバタフライナイフが成流の腹部に深く突き刺さった。一瞬時間が止まっ
たような感覚に陥り、気づかぬうちに傷口に手を当てていた。そこからは大量の血が成流
の手を染めていく。
　そして声をかけた男性が成流に近づき、成流を抱き起こした。
「梨来くん・・・よかった・・・」
　成流の目にはその男性の姿が、梨来の姿に見えていた。その安心感からか、成流は笑顔
を見せてそのまま意識を失った。
　成流やその周辺にいた人たちを刺した男はというと、後ろから追っていた警察に捕まっ
た。皮肉にも、その時追っていたのはＰ．Ｇ．Ｌのネオラシス系管轄、銀河系第四部隊で
あった。
　騒ぎが収まらない街に、続々と救急隊がやって来る。成流以下、刺された通行人七名は
Ｐ．Ｇ．Ｌの救急センターに運ばれた。そのうち重体者は三名で、今も生死の間を行き来
している状態だ。そんな三人のうちの一人に成流も含まれていた。うちの二人に比べると
状態は極めて最悪とさえ言われている。
　そんな事も知らず、梨来は仕事を終え、ユエに戻る途中だった。
「よはん。通信が入っているが。どうする？」
　梨来の横に座って通信を確認した凌は司令官であるよはんに問う。
「どこからだ」
「・・・Ｐ．Ｇ．Ｌ銀河系第四支部からだ」
「よし、つなげ」
　よはんの命令で、凌はメインスクリーンに映像を映し出した。
「あっ」
『こちら、銀河系本部司令官の牧村貴来。そちらの牧村梨来に代わっていただきたい』
　なんと本部にいるはずの梨来の父親からだった。その姿に思わず凌と梨来は声を上げて
しまった。
「梨来、お前に用だそうだ」
「用事って何ですか？」
『すぐに第四支部まで来てほしい。成流さんが大変だ』
「成流がどうしたんですか？」
　取り乱しそうになったがそこはぐっと堪えた。
『ある事件に巻き込まれた。今はここの集中治療室に入っている』
「本当ですか？」
　梨来が答える前に凌が答えてしまった。そんな緊急事態ではとSpeaDメンバーはこのま
まＡｒｋを方向転換し、マトリックスに向かう事にした。
「マトリックスに向け、発進！」
　Arkは大きく方向転換し、貴来の待つ第四支部へと向かう。
「梨来。きっと大丈夫だ・・」
「心配しないで、成流ちゃんはきっと助かるよ。」
　よはんや凌の励ましに頷いてみるが、心の中ではひどい自負の念に囚われていた。
　Ａｒｋがマトリックスに向かって一二時間程、まだ目的地に着かない。どんなに速くて
も一日以上はかかってしまう。一体どれだけたったら着くのだろう。そんな事を考えなが
らほとんど「魂ここに在らず」状態の梨来である。
　一方成流は、まだ意識が戻らず、状態は最悪なままだ。様々な医療器具に繋がれた成流
の姿は、まるで生命を吹き込まれる前の人造人間のようである。全て、機械によって生き
ているそんな状態なのだ。
　成流がどのような状態なのか不安になる梨来以下SpeaDメンバーは、ようやく目の前に
マトリックスが見え、少しほっとした。
　ここまで約二日。これでも速く来たのだ。
　Ａｒｋは大気圏に突入し、リリングニースにある第四支部の海上ポートに着陸した。そ
して梨来だけではなく、一緒にいたよはんたちも梨来について降りた。
　梨来たちが第四支部内にあるＰ．Ｇ．Ｌ救急センターの入り口にやって来ると、梨来の
姿を見つけ、近づいて来る男がいた。彼こそが梨来の父親、いや今は、銀河系本部司令官
の牧村貴来である。
「よはん司令官殿、お手数をかけた。こんな遠い所まで足を運んで頂くとは。・・・さあ
こっちだ。梨来」
　貴来はよはんに軽く礼をすると、梨来を連れて中へと入っていく。しかし、梨来が案内
された所は、一般病棟でも集中治療室でもない、地下三階に案内された。そこはまともな
電気も点いていない、暗く、冷たい所だ。そんな廊下を歩いて行くと、目の前に分厚そう
な黒い扉が見えてきた。その扉のプレートには霊安室と書かれている。そんな扉の前には
少し白髪が混じり始めた短髪の背丈は一七〇ｃｍ程あるだろうか、細身の男性一人と小じ
わが目立ち始めた年頃の女性と、男性によく似た二十歳後半の女性の姿が確認出来る。そ
の人たちに梨来たちが近づくと、三人はこちらに向き、そして一礼した。
　彼らが成流の家族である。
「梨来ちゃん。ごめんなさいね。私がついて行ってあげればこんな事に・・・」
　成流の母・涼菜は梨来の前に来て、涙しながら謝る。しかし梨来にはいまいち状況が把
握出来ない。
「お母さん・・・」
　「成流に会ってあげて」と母は、霊安室の分厚い扉を開け、梨来を中に入れた。すると
中にはベッドが一つ置いてあった。そこに梨来はゆっくりと近づいて、白い布で覆われ横
たわる人らしき物を見た。
「・・・・成流？」
　顔に掛けられている布をゆっくりと剥がしてみる。と、そこにはまるで王子様が接吻を
すれば目を覚ますであろう眠り姫のような成流の顔。その顔にそっと手を伸ばした。冷た
い。梨来はようやく現実的な事を理解した。ここは霊安室で成流は死んだのだ。と。
　梨来はベッドの横に跪き、成流の手をそっと握った。じっと成流の顔を見つめていた梨
来の心の中では、溜まっていた自責の念が膨れ上がっていた。
「成流・・・すまなかった。俺のせいだ・・・俺が成流一人で行かせたのが駄目だったん
だ・・・成・・・成・・ごめんな。俺のせいで・・・俺の・・・」
　梨来の目から一筋の涙が零れる。その涙を隠すようにベッドに伏せ、声もあげずに泣い
た。その姿を目にした成流の姉・瑠菜は梨来に近づき、声をかける。それに梨来は涙でぐ
ちゃぐちゃになった顔を上げた。
「梨来くん、自分を責めないで。成流はそんな事望んでいないわ。実はね、梨来くんがこ
こに来る半日前、一時的に意識が戻ったのよ。その時私にこう言ったの『もしこのまま結
婚出来なくても私は幸せだよ。梨来くんと一緒に過ごした五年間は淋しくなかった。ずっ
と笑顔でいられたもの』って。そしてね、自分を責めないでねって。きっと自分が助から
ない事はわかってたんだと思う。ねぇ梨来くん、妹は・・・成流は幸せだったんだからそ
う自分のせいにして自分を苦しめる事は止めて。成流が大切にした梨来くん自身を」
「梨来ちゃん、私からもお願いするわ。例え他に好きな子が出来ようが誰と結婚しようが
あなたは私にとって、何時までも大切な息子のようなものなのよ。ねっ」
　涼菜は涙で濡れた梨来の顔を、幼い息子のように自分の手で拭ってやる。
　梨来は「ありがとう」と涼菜に言うと、成流の顔を再び見つめ、そっと布をかぶせた。
そして目を腫らせながらも梨来は笑顔を見せ、成流に呟いた。
「ごめんな。成流の分までしっかり生きるよ」
　もう大丈夫だと立ち上がった梨来は、外に出ようと扉を開けた。

　梨来が中で目が腫れる程泣いていた頃、外でよはんたちが事件の経緯を貴来から聞かさ
れていた。
　話によると、第四部隊が追っていたあの男は、このリリングニースで起きた連続殺人事
件の犯人で、このマトリックス全域で指名手配になっていた男だそうだ。しかも男は白昼
堂々と殺人を犯し、すっと姿を消していたのだ。それが何を思ったのかＰ．Ｇ．Ｌ第四支
部に犯行声明文を送り付けたのである。
　その犯行声明文にはこう記されていた。
『Ｐ．Ｇ．Ｌ第四部隊司令官殿。五月×日、ウィンティスの一番人が行き交う場所にて大
量殺人を決行する。時間は午後二時。まぁ頑張りたまえ・・・』
　そのような文面を受け取った第四部隊の司令官は、本部司令官である貴来に連絡し、ウ
ィンティスのメインストリートを封鎖する為の緊急配備をした。それがメインストリート
の通行禁止だった理由である。
　しかし、この緊急配備が裏目に出たのである。この日、メインストリートが通行禁止だ
った為、もう一つの大通りの通行人が増えてしまったのだ。犯行声明文には『ウィンティ
スの一番人が行き交う場所』と記されていたという事はこの大通りがこの日の殺人決行の
場所という事になる。その為、あのような事になってしまったのである。
「指令の選択ミスによって梨来の彼女の命を失ってしまったんだな。牧村司令官」
「・・・・・・そうだ」
「まぁ、結果的に見れば彼女のお陰で犯人は無事逮捕出来たってわけか・・・これは感謝
状ものだな」
　よはんの目には貴来の持つ物が映っていた。その事に気が付いた貴来は手の物をすっと
隠した。「・・・しかし、これは決まりだ・・・渡さなければならない」
　よはんの言葉に戸惑う貴来であったが、自分自身に言い聞かせ、成流の父親に例の物を
手渡そうとした。
「永井さん、これはＰ．Ｇ．Ｌ本部からの感謝状とお礼金です。どうか受け取ってくださ
い」
「牧村さん・・・」
「こんな所で渡すのは何ですが、これから本部へ報告に行かねばならないので」
「しかし・・・」
「せめてもの償いです。梨来の父親としての・・・」
　成流の父親が貴来からその感謝状とお礼金を受け取ろうとした時、扉を開ける音がした。
それと同時に怒りという感情がこもった声が聞こえてきた。
「それが上層部のやり方かよ。・・・それが父親としてのやり方かよ！！」
　梨来は物凄い見幕で貴来に近づき、胸倉を掴んだ。その力の強さは計り知れなく、貴来
ですら壁に押し遣られてしまったのだ。
「り・・・梨来・・・放してくれ・・・」
「親父も上層部に入って随分落ちぶれたな！！成流は・・・成流の命はそんな金を払った
って戻って来るもんか」
「梨来ちゃん・・・」
　普段の優しい梨来の姿とは違い、我を忘れてしまった梨来の怒りは誰も止められる事は
出来なかった。もう一人の身内である凌ですらこんな梨来を見たのは初めてで、その迫力
に一歩も動く事が出来なかったのだ。
　結局、貴来が解放されたのは窒息する寸前であった。
　この事が発端で梨来の上層部、いや父親に反抗的になったのである。
　後日、成流の葬儀が執り行われた。そこには梨来の他、そのまま残っていたよはんたち
の姿もあった。そして梨来に反対されていたにもかかわらず、梨来の父親の貴来も結梨と
共に参列していた。
　そんなマトリックスの葬儀は一風変わっている事で有名だ。結婚を控えた者が亡くなる
と、花婿・花嫁衣装に身を包まれた遺体がお棺の中に入っているのだ。しかも葬儀の前に
結婚式をするのである。梨来ですら二・三日前に結婚式を挙げた。これは本当に形式的な
ものだが、このマトリックスの風習である。
「お父さん、お母さん、そして瑠菜さん。あなたたちの大切な家族の命を俺は奪ってしま
った。俺はこれからも成流の為に一生懸命生きていくつもりです。そして何時までもあな
たたちの息子であり、弟である事を・・・」
　梨来の最後の言葉は涙で消えてしまった。しかし、その言葉はきちんと家族に届いたよ
うで、涼菜が梨来の手を取り、何かを渡した。
「これは・・・」
　梨来の手に渡されたものは、成流のするはずだった結婚指輪と梨来がユエで買ったお揃
いの指輪であった。
「成流の形見。これは梨来ちゃんがもつに相応しいわ」
「お母さん・・・でも・・・」
「いいの。梨来ちゃんが持ってて」
「わかりました。じゃあ俺のと交換・・・これは成流のお棺の中に入れます。向こうで淋
しくならないように」
　梨来は指から成流と同じ二つの指輪を外し、成流の入っているお棺の中に入れた。そし
て成流の唇にそっと自分の唇を合わせるとお棺の蓋を閉めた。
　これが成流との最後の別れとなった。
　成流の入ったお棺は、ウィンティスの郊外にある火葬場に運ばれ、成流は灰と化した。
　そして結局、貴来とは解り合えないまま五年という歳月は過ぎた。
「・・・という事だ。俺は後から梨来に聞いた話だから嘘はないと思うが。これでよかっ
たか？」
「うん。ありがとう。でもかわいそうね。本当なら今頃はリクもお父さんになってたかも
しれないんだよ。ナルルさんも好きな人と作る家庭ってものを一度も味わう事が出来なか
ったのよ。そう考えると何だか辛くなるわ」
「それにしても梨来に婚約者ねぇ。信じられないぜ」
「何が信じられないんだ？」
　祐太郎は後ろから聞こえた声に振り返った。そこにはシャワールームから戻って来た梨
来が立っていた。
「なっ何にもない」
　思わずひっくり返った声で返事をしてしまった祐太郎。こうなると梨来の探りの血が騒
ぎ、これに捕まった者は何が何でも吐き出さなければならなくなるのだが、本日は探りを
入れる前にゴンさんが口を挿んでしまった。
「お前の過去について話したんだよ」
「・・・全部？」
「あぁ俺の知っている話全て」
　梨来はがっくし肩を下ろし、ゴンさんとエーシャの間に座った。
「これって確かよはんも知ってるんだよな？」
「もちろん。俺とよはんはこの中で一番付き合い長いからな・・・ふぅ」
「梨来、今年も行ったのか？墓参り」
「あぁ一週間休みをもらって」
「あっあの時ですね。牧村さんのいない時に仕事が入った、あれ」
　横でふわふわ浮いていたシールの頭の中ではあの頃の事が思い返されていた。
　梨来がマトリックスへ墓参りに行って留守にしていた頃、SpeaD指令部に響いた警報器
の音。何時ものようにSpeaDに出動要請があった。しかし、Ａｒｋを動かすという肝心要
が不在で、一応Ａｒｋを動かす事が出来たエーシャが代理となって出動する事になったま
では良かったもの、こういう時に限ってよはんとシールの大喧嘩が始まってしまった。自
動操縦であるからといってエーシャが止める事も不可能。祐太郎とＴＡＭＡは普段から関
わってないのでこういう時には役に立つ訳はなく、さらに騒ぎを大きくしてしまう始末。
何時もなら、梨来が止めるか、そのままほっておいて梨来中心に犯人逮捕なんて事は日常
茶飯事であるSpeaDだが、その要の梨来がいないとこのような混乱状態になってしまうの
である。もしここに雪蔵がいたのならまだ救われたのだろうが、まだこの時は雪蔵の姿は
確認出来ない。
　そんな大きな内部紛争が起きていては犯人なんて逮捕出来る訳がなく、取り逃がすとい
うSpeaDにとって痛い失敗を犯してしまったのである。その上、上層部に報告に行った者
とは・・・この現場にすらいなかった梨来であったというのは容易に判断出来るだろう。
「あの時は梨来がいない事に腹立ててたなオレたち」
「ユウタロウなんて自分が普段止めた事ないくせに、止めようとしたからさらに酷くする
しね」
「まあ芙蓉も入ったから牧村がいなくっても平気だろうな」
　祐太郎の横で梨来に聞こえるようにＴＡＭＡが呟く。それに梨来はあの時のような怒り
のこもった低い声で「消えてやろうか」と返す。それにはＴＡＭＡたちも驚いた様子で、
「いえいえ結構です」と壁際に追いやられたような怯えた声で答え、「梨来だけは怒らせ
てはならない」と各々の心の中で思うのであった。
「・・・あっ牧村さん。臭い消えましたね」
　シールの突然の言葉に全員忘れかけていた事が思い返される。それはあの強烈な臭い。
魚の肝を腐らせたらこんな感じ、というような鼻に付く臭い。それを各々思い返したよう
で、一斉に梨来の側に寄り、臭いを嗅いだ。
「・・・・」
　一瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのは雪蔵だった。
「臭いませんね。良かったですね、梨来さん」
「本当。シリィが意識しなくなったから本当に消えたのね」
「これもゴンさんのお陰か。なっ梨来」
　梨来の肩を祐太郎がぽんっと叩く。それに梨来は笑顔で返した。これであの臭いとさら
ばだなんて解決したのもつかの間、もっと大変な事を思い出した。それは現在この場所に
いない人物である。それは・・・よはんである。
「そういえば・・・よはん起きて来ないな」
「起きて来なくても構わないけどな。うるさいだけだし」
「きっとあれを作れば起きて来るわよ」
「あれって何ですか？」
　雪蔵一人だけ何が何だかわかっていないようであったが、その直後、記憶の片隅に隠れ
ていた臭いと共に甦って来た。
　エーシャの言う「あれ」とは、よはんの大好物、マンドラゴラのばたぁ炒めの事を指す。
それを作ってよはんの所に持って行けば何が何でも目を覚ますであろうという考えであっ
た。
「でも誰が作るんだ？あんなもの」
「ここにいるじゃない。長年付き合って来た人間が」
　エーシャが見た先には梨来とゴンさんがいた。見つめられた二人は「そんな馬鹿な」と
いうような顔で首を横に振っている。
「俺じゃないよな。第一食った事ないし」
　ゴンさんは慌てて拒否すると「えぇごんさんはお客様ですもの」とエーシャがあっさり
と返す。
それにゴンさんはほっとしたようで、ふうと溜め息を吐いた。
　すると最後のターゲットはこの人、残り者と言えば梨来である。
「あっっ・・・えっ俺？」
「そう」
「嫌ならこれが飛ぶぞ」
　と祐太郎が構えたのは、雪蔵とＴＡＭＡが改造したチュウチュウバズーカである。
「飛ぶぞ」
「飛びますよ」
　ＴＡＭＡと雪蔵が祐太郎の後ろから更にカチャッという金属音と共に細長い筒を構えた。
「おっお前ら・・・いつの間にそんなもの造ったんだよ」
「あれっ言ってなかったですか？あの時一緒に造っておいたんですよ」
　「お前らは何考えているのかわからんな」と渋々キッチンへと足を運んだ。そしてよは
んが大事に冷凍しておいたマンドラゴラを一つ取り出し、バターをひいたフライパンに乗
せた。マンドラゴラはジュウジュウと美味しそうな音と共に、バターのいい香りがメイン
ルームを満たしていく。その匂いにエーシャたち野次馬がキッチンを順番に覗きに来る。
「いい匂い。これで騙されるのよね。美味しいぞって」
「でもこの匂いはこの前とは違いますよね。本当に美味しいって感じですよ」
　雪蔵は記憶から引き出された匂いと比べているようで、その違いに期待を寄せる。
「何ならもう一枚焼こうか？その代わり最後まで食わないと怒るぞ」
　梨来は冷凍庫からマンドラゴラを取り出し、用意されたもう一つのフライパンで焼き始
めた。
「出来たぞ」
　梨来の持って来た皿の上には色よく盛り付けられたマンドラゴラのばたぁ炒めと野菜の
付け合わせ。見た目はよはんの作った物と変わらないが、お味はどうか。まず雪蔵が口に
運んだ。
「・・・・」
　「どう？」とみんなの見守る中、雪蔵の口から発せられた言葉は・・・。
「美味しいですよ。これ」
　雪蔵の意外な反応に「嘘だろ」「嘘でしょ」という言葉が響く。そんなメインルームで
は試食会が始まった。
　次々にマンドラゴラが口に運ばれる。やはり意外な反応が返ってきたのだ。
「美味い！」
「本当、美味しいわ」
「何故こんなに美味いんだ？おいっ牧村、何か入れたのか？幻覚剤とか」
「そんなもん入れるかよ。よはんじゃあるまいし。普通に作っただけだ。まあ焼き方に少
しテクニックがいるけどな」
「どんな？」
「秘密」
　そう残した梨来はよはんの元へと歩いていく。それにぞろぞろと続く野次馬の列。ゴン
さんもこれは見物だとこの列の一番後ろについた。
　メインルームから右に進むとある仮眠室。その一つのドアに立った。そこにはよはん専
用と書かれたプレートが付いている。そのドアをノックするが返事はない。まだ眠ってい
る事を確認した梨来たちは中に入った。
　中にはベッドの上に横になるよはんの姿がある。その枕元に梨来は立った。すると・・
黒い物体がムクッと起き上がった。まだ眠りから覚めきってない奴は、目をごしごしと擦
って頭をポリポリと掻いている。まさに親父の寝起きであるI�ﾇ�:�ﾈ
「うーん。何だお前らか。・・・ん？ここは何処だ？・・・美味そうな匂い・・・これは
マンドラゴラのばたぁ炒めではないか」
「よはん。起きてるよな」
「何馬鹿言ってる。よはんはきちんと目を開けているではないか。そんな事よりもそれよ
こせ」
　よはんは梨来の持っていた皿を奪うと、今までの空腹からか、黙々と食べ始めた。
「エーシャの言った事は正解だな」
　奴には敵わんなという呆れ顔でよはんの部屋から退出するメンバーとゴンさん。メイン
ルームに戻ってからもよはんの食べる事に関しての話で物凄くローなテンションで盛り上
がる始末。結局、梨来の湿っぽい苦労話もよはんに全てを奪われて終わってしまった。ま
あ梨来は怒ったら怖いという印象だけ残っているはずだからいいとしよう。・・・もしか
したらそんな事すら忘れ去られてしまっているかもしれない・・・